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耕田院の日常(126回目)山形県羽前大山駅

一握りの土 

投稿日:2022年12月05日(月)
今朝は、松山千春さんと村岡花子さんと大器晩成の話しだ。

◆松山千春さんの「大空と大地の中で」に、「生きることが辛いとか 苦しいだとかいう前に」という歌詞がある。そんな気持ちになったときに思い出してほしい「とっておき」のお話がある。

◆『一握りの土』(ヴァン・ダイク イギリスの詩人)というお話だ。

一握りの土   ヴァン・ダイク

川の土手に一握りの土がありました。
その土は一つの夢を持っていました。
必ず自分にはすばらしい幸福がやってくると信じていたのです。

ある日のこと、
土は陶器工場へ運ばれて行きました。
そして、想像もしなかった窮屈な型の中へはめられたり、
ぞっとするような高熱の火で焼かれたりしました。

土は、
「それらは幸福を得るための試練だ。」
そう思って厳しい試練に耐えました。

ところが、その結果土は
夢想だにしなかった植木鉢にしあげられました。
それは「粗雑きわまる、赤ちゃけた、みにくい、何のとりえもない植木鉢」でした。

それからは、土(植木鉢)の苦難の日々が始まります。
当然のことなのですが、
この植木鉢に、かつては自分と同じだった土が入れられ、
堆肥や腐葉土がかき混ぜられ、
その中に何かが埋めこまれました。

そしてどれだけの月日が経過したでしょう。
彼はどこかの立派な応接間のピアノの上に置かれました。
彼は何の楽しみも期待も持てなかったのですが、
それにもかかわらず実に不思議な場面となったのです。

それは、この応接間を訪れる客が、
彼の方に近寄っては彼を指さして、
「きれいだ。」とか「みごと」だとか口々に誉めそやすのです。
彼は自分のみにくい姿を知っているだけに、
そのことが不思議でなりませんでした。
そこで彼はピアノにそっとたずねてみました。

ピアノは静かに植木鉢に語りかけます。
「おわかりにならないのですか。
 あなたは王様がお持ちになる笏(しゃく)のような
 百合の花を宿らせているじゃありませんか。
 その根はあなたの中で育ったのではなかったのですか」と。

このとき、土は初めて気がついたのです。
何のとりえもない、みにくい、名もない土くれであっても、
命を宿すことができ、
それを育てることができたことを、
ひそかに神に感謝せずにはおれませんでした。  (村岡花子「母心抄」より)

◆自らのことを「粗雑きわまる、赤ちゃけた、みにくい、何のとりえもない植木鉢」と考え卑下した「彼」でも、いや「彼」だからこそ、命を宿し、それを育てることができた喜びを知る。自分の仕事の意味が「百合の花の根を育てた」と素晴らしい人生へつながっていたということを知るのだ。

◆松山千春さんは「野に育つ花ならば 力の限り生きてやれ 凍えた両手に息を吹きかけて しばれた体をあたためて」と続くのだが、たとえ、今までは「周りに翻弄され続けた、受け身の人生で」あっても、「意味のない人生」などないのだ。今、気がつかなくても最期の最期までわからないのだ。それが、あなたの人生だ。あなたもわたしも大器晩成の人生と信じて生きようではないか。

◆人生は思い通りになどいかない。しかし、今日1日よかったと思うことはいくらでも探せるし、明日を信じることもできるのだ。

◆今朝も最後まで読んでいただいてありがとうございます。あなたの朝のこころにアプローチ。「ああなあさここ」でした。

◆深呼吸で「心のデトックス」。一度息を全て「大地に」吐き出します。次に胸を広げて鼻から息をたっぷり入れます。最後は「吐く息は細く長く」です。呼吸をコントロールし、呼吸に集中。自分の心にアプローチ。

◆「自分の根っこ」に感謝。ここに自分があること。お父様、お母様。あなたの隣にいる人とそのご縁。これから出会う新しいご縁。全てに合掌しましょう。

◆いつもニコニコ怒りません。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」は、自分もまわりも明るく・仲良く・イキイキと導くおまじない。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」。
耕田院(山形県)

すてき

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