耕田院の日常(123回目)|山形県羽前大山駅
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
投稿日:2022年12月02日(金)
◆雑阿含経で、お釈迦さまは「怒り」について説かれている。
◆お釈迦さまに向かって、散々「ののしった」男がいた。
◆お釈迦さまは黙って聞いておられた。
◆しかし、男の悪口が終わると口を開かれた。
お釈迦さま:「お前は、祝日に、家族や親戚の人達を、招待し歓待することがあるか」
男:「そりゃ、あるさ」
お釈迦さま:「親戚がその時、お前の出した食べ物を食べなかったらどうするか」
男:「食べなければ残るだけさ」
お釈迦さま:「私の前で悪口雑言ののしっても、私がそれを受けとらなければ、その罵詈雑言は誰のものになるのか」
男:「いや、いくら受けとらなくとも、与えた以上は与えたのだ」
お釈迦さま:「それは与えたとは言えない」
◆お釈迦さまに向かって吐かれた「罵詈雑言」は、自分自身に向かって吐かれた「罵詈雑言」なのだということを、「男」にお説きになる。しかし、「男」は、「お釈迦さま」に向かって「与えたもの」(一度口に出したもの)だから、その「罵詈雑言」はお釈迦さまのものだと考えている。
◆お釈迦さまは、「罵詈雑言」受け取っていないから、与えられてはいないというのだが、「男」には理解できない。もしも、私の立場でもすんなりとは理解できない。男は問う。
※ これ以下の問いと返答が素晴らしい。
男:「それなら、どういうのを受けとったといい、どういうのを受けとらないというのか」
お釈迦さま:「悪口を言われたときに悪口を言い返し、怒りには怒りで報い、打てば打ち返す。闘いを挑めば闘い返す。それらは与えたものを受けとったというのだ。しかし、その反対に、なんとも思わないものは、与えたといっても受けとったのではないのだ」
◆これはよくわかる。経験している。以前学級崩壊が問題になっていたときの構図がこれ
だ。先生と子どものいい争い。時には、先生にも涙、子どもにも涙。いいことはなにない。そこに親からのクレーム。今の教育とは教師がマウントをとるということではない。
これに気がつかないと大変なことになる。しかも、この構図はベテランで優秀な教員と、情熱溢れる若い先生、自信ある人が陥る。今までうまくいっていたものが、あれよあれよという間に。
◆まだ、理解できない男は更にお釈迦さまに問う。
男:「それじゃあなたはいくら悪口を言われても、腹は立たないのか」
お釈迦さまは厳かに、詩によって答えられました。
智慧ある者に怒りなし。
万一吹く風荒くとも、心の中に波たたず。
怒りに怒りをもって報いるは、このゆえに愚か者のしわざなり
この詩を聞き、男は腑に落ちた。
◆明日から雪模様ということで、家人が車のタイヤ交換を頼んだ。車屋さんは昔から、保険から全て任せている店だから安心していた。車は、昨日の夜にはお寺に届けてもらっていたようだ。
◆今日の午後、ちょっと用があって車をだした。なんだか「聞きなれない音」。しかし、一度動き出したものはそう簡単に止まれない。取り敢えず近くのコンビニの駐車場へ。
◆なんということか。後ろのタイヤがつぶれている。パンクだ。
◆日頃スマホを携帯しない私はこんなとき困る。なんとか、店に連絡してもらって、車の鍵はコンビニに預けて歩いて帰ってきた。お寺まで歩くとちょうど2㎞強。雨まじり。
◆これは、「運が悪い」ということなのだろうか、どこでパンクしたのだろう。やっぱり私の行いが悪いのだろうか。少し腹立たしい。
◆もちろん、業者の方にはいつもお世話になっているし、苦情をいったりはしない。すごく困ったともいわない。だから、できればすぐ忘れたい。
◆「煩悩即菩提」。私はお釈迦さまに試されているのだと思うことにした。
万一吹く風荒くとも、心の中に波たたず。
怒りに怒りをもって報いるは、このゆえに愚か者のしわざなり
◆「家人」は何かの研修会へでかけて留守だ。帰ってきた時に、事情を話す。すると「私が昨日タイヤ交換を頼んだのがわるかったのねぇ。ごめんなさいねぇ。」と家人に言ってもらえは、この気持ちは収まるだろう。しかし、たぶんそういう展開は期待できない。今晩はオンニコニコハラタテマイゾヤソワカと唱えていよう。
◆POSTのネタができただけで有難いとも言えるし…。
◆今朝も最後まで読んでいただいてありがとうございます。あなたの朝のこころにアプローチ。「ああなあさここ」でした。
◆深呼吸で「心のデトックス」。一度息を全て「大地に」吐き出します。次に胸を広げて鼻から息をたっぷり入れます。最後は「吐く息は細く長く」です。呼吸をコントロールし、呼吸に集中。自分の心にアプローチ。
◆「自分の根っこ」に感謝。ここに自分があること。お父様、お母様。あなたの隣にいる人とそのご縁。これから出会う新しいご縁。全てに合掌しましょう。
◆いつもニコニコ怒りません。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」は、自分もまわりも明るく・仲良く・イキイキと導くおまじない。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」。
◆お釈迦さまに向かって、散々「ののしった」男がいた。
◆お釈迦さまは黙って聞いておられた。
◆しかし、男の悪口が終わると口を開かれた。
お釈迦さま:「お前は、祝日に、家族や親戚の人達を、招待し歓待することがあるか」
男:「そりゃ、あるさ」
お釈迦さま:「親戚がその時、お前の出した食べ物を食べなかったらどうするか」
男:「食べなければ残るだけさ」
お釈迦さま:「私の前で悪口雑言ののしっても、私がそれを受けとらなければ、その罵詈雑言は誰のものになるのか」
男:「いや、いくら受けとらなくとも、与えた以上は与えたのだ」
お釈迦さま:「それは与えたとは言えない」
◆お釈迦さまに向かって吐かれた「罵詈雑言」は、自分自身に向かって吐かれた「罵詈雑言」なのだということを、「男」にお説きになる。しかし、「男」は、「お釈迦さま」に向かって「与えたもの」(一度口に出したもの)だから、その「罵詈雑言」はお釈迦さまのものだと考えている。
◆お釈迦さまは、「罵詈雑言」受け取っていないから、与えられてはいないというのだが、「男」には理解できない。もしも、私の立場でもすんなりとは理解できない。男は問う。
※ これ以下の問いと返答が素晴らしい。
男:「それなら、どういうのを受けとったといい、どういうのを受けとらないというのか」
お釈迦さま:「悪口を言われたときに悪口を言い返し、怒りには怒りで報い、打てば打ち返す。闘いを挑めば闘い返す。それらは与えたものを受けとったというのだ。しかし、その反対に、なんとも思わないものは、与えたといっても受けとったのではないのだ」
◆これはよくわかる。経験している。以前学級崩壊が問題になっていたときの構図がこれ
だ。先生と子どものいい争い。時には、先生にも涙、子どもにも涙。いいことはなにない。そこに親からのクレーム。今の教育とは教師がマウントをとるということではない。
これに気がつかないと大変なことになる。しかも、この構図はベテランで優秀な教員と、情熱溢れる若い先生、自信ある人が陥る。今までうまくいっていたものが、あれよあれよという間に。
◆まだ、理解できない男は更にお釈迦さまに問う。
男:「それじゃあなたはいくら悪口を言われても、腹は立たないのか」
お釈迦さまは厳かに、詩によって答えられました。
智慧ある者に怒りなし。
万一吹く風荒くとも、心の中に波たたず。
怒りに怒りをもって報いるは、このゆえに愚か者のしわざなり
この詩を聞き、男は腑に落ちた。
◆明日から雪模様ということで、家人が車のタイヤ交換を頼んだ。車屋さんは昔から、保険から全て任せている店だから安心していた。車は、昨日の夜にはお寺に届けてもらっていたようだ。
◆今日の午後、ちょっと用があって車をだした。なんだか「聞きなれない音」。しかし、一度動き出したものはそう簡単に止まれない。取り敢えず近くのコンビニの駐車場へ。
◆なんということか。後ろのタイヤがつぶれている。パンクだ。
◆日頃スマホを携帯しない私はこんなとき困る。なんとか、店に連絡してもらって、車の鍵はコンビニに預けて歩いて帰ってきた。お寺まで歩くとちょうど2㎞強。雨まじり。
◆これは、「運が悪い」ということなのだろうか、どこでパンクしたのだろう。やっぱり私の行いが悪いのだろうか。少し腹立たしい。
◆もちろん、業者の方にはいつもお世話になっているし、苦情をいったりはしない。すごく困ったともいわない。だから、できればすぐ忘れたい。
◆「煩悩即菩提」。私はお釈迦さまに試されているのだと思うことにした。
万一吹く風荒くとも、心の中に波たたず。
怒りに怒りをもって報いるは、このゆえに愚か者のしわざなり
◆「家人」は何かの研修会へでかけて留守だ。帰ってきた時に、事情を話す。すると「私が昨日タイヤ交換を頼んだのがわるかったのねぇ。ごめんなさいねぇ。」と家人に言ってもらえは、この気持ちは収まるだろう。しかし、たぶんそういう展開は期待できない。今晩はオンニコニコハラタテマイゾヤソワカと唱えていよう。
◆POSTのネタができただけで有難いとも言えるし…。
◆今朝も最後まで読んでいただいてありがとうございます。あなたの朝のこころにアプローチ。「ああなあさここ」でした。
◆深呼吸で「心のデトックス」。一度息を全て「大地に」吐き出します。次に胸を広げて鼻から息をたっぷり入れます。最後は「吐く息は細く長く」です。呼吸をコントロールし、呼吸に集中。自分の心にアプローチ。
◆「自分の根っこ」に感謝。ここに自分があること。お父様、お母様。あなたの隣にいる人とそのご縁。これから出会う新しいご縁。全てに合掌しましょう。
◆いつもニコニコ怒りません。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」は、自分もまわりも明るく・仲良く・イキイキと導くおまじない。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」。
すてき
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、情報を発信しようという気持ちになりますし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。