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耕田院の日常(110回目)山形県羽前大山駅

何事だ「雨にも負けて」とは

投稿日:2022年11月18日(金)
現代っ子版雨ニモマケズだそうだ。

雨にもあてず風にもあてず
雪にも夏の暑さにもあてず
ぶよぶよの体にたくさん着込み
意欲もなく体力もなく
いつもぶつぶつ不満を言っている
朝からあくびをし
集会があれば貧血を起こし
あらゆることを
自分のためだけ考えてかえりみず
毎日作業はぐずぐず 注意散漫し すぐに飽き
そしてすぐ忘れ
りっぱな家の自分の部屋に閉じこもっていて
東に病人あれば医者が悪いと言い
西に疲れた母あれば養老院に行けと言い
南に死にそうな人あれば寿命だと言い
北にけんかや訴訟があれば
眺めてかかわらず
日照りの時は冷房をつけ
塾に追われテレビに吸い付いて遊ばず
みんなに勉強勉強と言われ
叱られもせず怖いものも知らず
こんな現代っ子に誰がした

◆ある学校の校長先生か学校通信で紹介されていた。「雨ニモのパロディ」だ。

◆パロディとは、教訓などを目的として作りかえた作品をいうが、なぜ、「大の大人」が「子どもと親を揶揄するために」宮沢賢治の雨ニモ負ケズを使わねばならなかったのか。それは、不明である。

◆そもそもパロディとは、他の芸術作品を風刺、批判する目的を持って模倣した作品、あるいはその手法のことを指すのだが、「こんな現代っ子に誰がした」で全てをひっくり返しているが、それにしても、学校現場には似合わない、パロディだ。

◆気になるのは、意欲もなく、体力もなく、いつもぶつぶつ不満を言っている子どもだという表現。もしそうなら、そんな子どもを健やかに育てるのが学校の役割だ。家庭のせいだけではない。この学校の子どもはこれを読み笑ったのだろうか。

◆そして、学校にそぐわないのは、「ぶよぶよの体にたくさん着込み」の表現だ。これは身体的な特徴の云々を指す表現にも聞こえる。最悪である。

◆「ぶよぶよ」は腐りかけた桃のように使い、筋肉が弛み、水膨れしたようなハリのなさをいう言葉である。その言葉で子どもを喩えているのだ。

◆このパロディは、学級通信ではアウト。授業で取り上げたとしてもアウトだ。

◆なんでもかんでもネットに、上がるし、上げる。考えてみればおそろしいことだ。

それに比べてこの「雨にも負けて」だ。(以前も紹介した)

雨にも負けて 
風にも負けて 
人生に負けて
背中を丸めて去っていく人を 
誰かが笑う
一生に一度 
誰からも褒められることのないまま

咲いて枯れた花を 
誰かが笑う
その人の夢も 
あまたある星の輝きには負けると

その人の人生も  
過ぎ行く時の流れには負けると
誰が 笑えるのだろう?

◆「美しい詩」という風花未来(かざはなみらい)のブログに紹介されていたものだ。テレビドラマ「愛し君へ」の中で菅野美穂さんが朗読したとういう。「解夏」(さだまさし著)のドラマ版だったそうだ。

◆これなら子どもに「雨ニモ」の…と教えてあげたい。
耕田院(山形県)

すてき

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