耕田院の日常(98回目)|山形県羽前大山駅
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投稿日:2022年11月06日(日)
◆家人は最近まで放映されていたNHKBSの「赤毛のアン」を毎週楽しみにしていた。幾つになっても「赤毛のアン」が好きらしい。カナダの作家L・M・モンゴメリが1908年に発表した小説だ。
◆そして、赤毛のアンといえば、翻訳者・村岡花子さん。彼女は、東京の女学校で英語を学び、故郷での教師生活をへて翻訳家の道へ進んだ。朝の連続テレビ小説「花子とアン」の主人公でもある。
◆「赤毛のアン」は、マシュウとマリラの老兄妹が住む「緑の切妻屋根」のクスバート家に、孤児院から引き取られた11歳の赤毛の少女、アン・シャーリーの16歳までの話だ。
◆改めて「赤毛のアン」を眺めていると、まず、アンがクスバート家に引き取られる11歳までのことが非常に印象的である。
但し【アンの語るところでは】である。
①実父母のシャーリー夫妻はともに高校教師だったが、母はアン出生後3か月の時に熱病で死に、その4日後に父も同じ病気で後を追っていった。
②孤児になったアンには親戚もなかったため、シャーリー家のお手伝いだったトーマスのおばさんに引き取られたが、おばさんはとても貧乏で、アンの下に子供が4人も生まれたため、アンは子供の世話をしながら育った。
③8歳の時トーマスのおじさんが汽車に轢かれて死に、おばさんと4人の子供はおじさんの母の家に引き取られたが、アンの引き取りは拒否された。
④川上で製材所を営むハモンド家が、アンの子守り能力をあてにして引き取ってくれ、アンはそこで8人の子供を世話しながら暮らした。
⑤ところが、2年と少しでハモンドのおじさんが死に、おばさんは子供を親戚にばらまいて自分はアメリカへ。
⑥超満員の孤児院に入れられて4か月たったころに、クスバート家から(間違いの)お呼びがかかったという。
◆【アンの語るところでは】であるが、なんという幼少時代だろう。人生相談に電話したくなる内容だ。「全ての原因はこの幼少期にあります。お辛かったでしょう…」と。しかし、ひとりぼっちの生い立ちが、アンを不幸にしていない。
◆クスバート家で、のびのび暮らす日々。そして自立を迎えた16歳。アンは猛勉強をし、大学進学と奨学金の切符を手に入れる。しかし、その矢先、マシュウが心臓発作で急死。眼病で、失明の危機のマリラは「緑の切妻屋根」の家屋敷を売り払うことを考え始める。
◆「ここでのアンの選択」は、次のとおりだった。「進学を諦めてこの地にとどまる」マリラを支えようと決意するのだ。自らの手で獲得した自立への道、苦労して手に入れた大学進学を辞退したのだ。
◆そして、次の言葉でこの物語は閉じられる。
道が狭められたととはいえ アンは静かな幸福な花が、その道にずっと咲き乱れていることを知っていた。道には常に曲がり角があるのだとアンは考える
「神は天にあり、世はすべてよし」とアンはそっとささやいた。(訳 村岡花子)
◆「善をも思わず、悪をも思わず」。アンの選択の清々しさはなんだろう。運がいいとか悪いとか、この決断は正しいのか誤っているのか「判断」しようとするから、悩み、迷う。しかし、アンにはこの二元的な考えがない。あるのは純粋な自分の心だけなのだ。そこが世界の人々を魅了するのだ。
▶︎深呼吸で「心のデトックス」。一度息を全て「大地に」吐き出します。次に胸を広げて鼻から息をたっぷり入れます。最後は「吐く息は細く長く」です。呼吸をコントロールし、呼吸に集中。自分の心にアプローチ。
◆いつもニコニコ怒りません。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」は、自分もまわりも明るく・仲良く・イキイキと導くおまじない。
▶︎「自分の根っこ」に感謝。ここに自分があること。お父様、お母様。あなたの隣にいる人とそのご縁。これから出会う新しいご縁。全てに合掌しましょう。
◆そして、赤毛のアンといえば、翻訳者・村岡花子さん。彼女は、東京の女学校で英語を学び、故郷での教師生活をへて翻訳家の道へ進んだ。朝の連続テレビ小説「花子とアン」の主人公でもある。
◆「赤毛のアン」は、マシュウとマリラの老兄妹が住む「緑の切妻屋根」のクスバート家に、孤児院から引き取られた11歳の赤毛の少女、アン・シャーリーの16歳までの話だ。
◆改めて「赤毛のアン」を眺めていると、まず、アンがクスバート家に引き取られる11歳までのことが非常に印象的である。
但し【アンの語るところでは】である。
①実父母のシャーリー夫妻はともに高校教師だったが、母はアン出生後3か月の時に熱病で死に、その4日後に父も同じ病気で後を追っていった。
②孤児になったアンには親戚もなかったため、シャーリー家のお手伝いだったトーマスのおばさんに引き取られたが、おばさんはとても貧乏で、アンの下に子供が4人も生まれたため、アンは子供の世話をしながら育った。
③8歳の時トーマスのおじさんが汽車に轢かれて死に、おばさんと4人の子供はおじさんの母の家に引き取られたが、アンの引き取りは拒否された。
④川上で製材所を営むハモンド家が、アンの子守り能力をあてにして引き取ってくれ、アンはそこで8人の子供を世話しながら暮らした。
⑤ところが、2年と少しでハモンドのおじさんが死に、おばさんは子供を親戚にばらまいて自分はアメリカへ。
⑥超満員の孤児院に入れられて4か月たったころに、クスバート家から(間違いの)お呼びがかかったという。
◆【アンの語るところでは】であるが、なんという幼少時代だろう。人生相談に電話したくなる内容だ。「全ての原因はこの幼少期にあります。お辛かったでしょう…」と。しかし、ひとりぼっちの生い立ちが、アンを不幸にしていない。
◆クスバート家で、のびのび暮らす日々。そして自立を迎えた16歳。アンは猛勉強をし、大学進学と奨学金の切符を手に入れる。しかし、その矢先、マシュウが心臓発作で急死。眼病で、失明の危機のマリラは「緑の切妻屋根」の家屋敷を売り払うことを考え始める。
◆「ここでのアンの選択」は、次のとおりだった。「進学を諦めてこの地にとどまる」マリラを支えようと決意するのだ。自らの手で獲得した自立への道、苦労して手に入れた大学進学を辞退したのだ。
◆そして、次の言葉でこの物語は閉じられる。
道が狭められたととはいえ アンは静かな幸福な花が、その道にずっと咲き乱れていることを知っていた。道には常に曲がり角があるのだとアンは考える
「神は天にあり、世はすべてよし」とアンはそっとささやいた。(訳 村岡花子)
◆「善をも思わず、悪をも思わず」。アンの選択の清々しさはなんだろう。運がいいとか悪いとか、この決断は正しいのか誤っているのか「判断」しようとするから、悩み、迷う。しかし、アンにはこの二元的な考えがない。あるのは純粋な自分の心だけなのだ。そこが世界の人々を魅了するのだ。
▶︎深呼吸で「心のデトックス」。一度息を全て「大地に」吐き出します。次に胸を広げて鼻から息をたっぷり入れます。最後は「吐く息は細く長く」です。呼吸をコントロールし、呼吸に集中。自分の心にアプローチ。
◆いつもニコニコ怒りません。「オンニコニコハラタテマイゾヤソワカ」は、自分もまわりも明るく・仲良く・イキイキと導くおまじない。
▶︎「自分の根っこ」に感謝。ここに自分があること。お父様、お母様。あなたの隣にいる人とそのご縁。これから出会う新しいご縁。全てに合掌しましょう。
すてき
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