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耕田院の日常(95回目)山形県羽前大山駅

ああ無常

投稿日:2022年11月03日(木)
◆道元禅師が正法眼蔵随聞記の中で、次のように励ましてくださっている。

「初めより道心なくとも、強いてつとめれば、まことの道心起きるなり」

◆「道心」とは、仏さまに近づこうとする信仰心のことであり、つとめるとは「修行」することである。さすれば、本物の道心が起こってくるのである。

◆あのお話にも通じる。子どもの頃の世界名作物語、波瀾万丈の「ああ無情」だ。原作が「レ・ミゼラブル」だ。作者は、文豪ビクトリー・ユゴーで主人公は、ジャン・バルジャンという。

◆貧しさ故に、腹をすかす姉の子供に食べさせるため、一切のパンを盗み、この世の理不尽さに争って、脱走を繰り返す。その結果、なんと19年間も獄中生活を送ったジャン・バルジャンは、社会に対する強い憎しみを抱いて出獄する。

◆ある教会に一夜の宿を求めたジャン・バルジャンは、その教会で銀の燭台を盗む。しかし、警視ジャヴェールに捕まってしまう。また、牢屋に逆戻りか…。

◆ところが、その教会のミリエル司教は「銀の燭台はジャンにあげた物だ」とかばうのだ。それだけでなく「もう一つ忘れている」と言うと、銀の燭台をジャン・バルジャンは手渡してくれる。ジャン・バルジャンは46歳にして、初めて心の温かさを知る。

◆ここより、ジャン・バルジャンの改心の旅が始まる。

◆次に本編に登場する時は、名前を変え、市長となっていたジャン・バルジャンだ。しかし、その市に赴任した宿敵警視ジャヴェールが、市長(ジャン・バルジャン)の素性に疑問を抱き、執拗に追い回すのだ…。そして、コゼットとの出会い。

◆「ああ無情」ジャン・バルジャンは、ミリエル司教に「神」の存在へと導かれ、それが道心となった。「ミリエル司教のように」と努めた様々な「修行」はやがて市長という職に導く。ジャン・バルジャンは名前を隠して、別人間、つまり偽物の衣装で正しい人間に近づいていく。偽物の衣装をつけても、真心でやり続ければやがて「本物」になるということなのだ。しかし、この偽物の衣装が最後までジャン・バルジャンを翻弄する。

◆「為さぬ善より為す偽善」という言葉がある。何もなさないよりも、ジャン・バルジャンのように正しいと思うことをした方がよいということだ。その行為が本物か偽物かは神様・仏様しかわからないということだ。躊躇(ちゅうちょ)していても何も始まらないのだ。人間には、今の今がつながる、最期の最期が肝要なのである。

◆波瀾万丈のジャン・バルジャンの最期の選択はご存じであろうか。
耕田院(山形県)

すてき

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