こうでんいん
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耕田院の日常(88回目)
投稿日:2022年10月27日(木)
⭐︎写真は鳥海ブルーラインの鳥海山五合目の鉾立。海抜1100m。ここまで、海岸から一気に上がります。例年11月初旬には冬季通行止めとなるようです。
◆俳人小林一茶が父の最期を看取ったときの話。
◆一茶は3歳で母を失い。8歳で継母を迎えるが継母とは折り合いが悪かった。15歳の時家を出て江戸に奉公に、そこで俳諧の道へ進むのである。
◆享和元年4月、一茶39才。帰省中の一茶が父を急病で失い、その初七日までの三十余日間を日記がある。そこには、日々衰弱してゆく父の姿と遺産問題を端に発した継母・弟との確執が描かれている。日本の私小説のルーツと言われる『父の終焉日記』だ。
◆4月23日、農作業中に倒れた父は26日、隣村の医師により傷寒(高熱を伴う疾患)と診断された。29日父は、枕元に一茶と弟仙六を呼び財産を半分にして分与することを伝える。
◆しかし、弟は父の言葉に反対し、いさかいとなった。5月2日父の病状が急変するが継母は見向きもしないとなまなましい。
「父ありてあけぼの見たし青田原」
この時の一茶の句である。本当は(家を出ることなどなく)父とともに農民として、夜がほのぼのと明けるころの勢いよく育ち始めた田を眺めたかったという心境か。
◆この日記には、一茶の弟が「長患いで寝たきりになって逝くより、早く逝って方がよい」と言ったとある。その言葉の冷たさに一茶は「親は二度あはるるものにしなき事にあれば、百歳つき添ひたりとも倦きたるまじきに(いやになることはない)…」と嘆くのだ。
◆「親は二度あはるるものにしなき事にあれば」とは、子として二度と実の親を持つ事ができないということだ。人生が一度きりであると同じように、実の親を持つこの縁は一度きりなのだ。その父と今生の別れをしてしまったらもう二度と会う機会はない。だから、「百歳つき添ひたりとも倦きたるまじきに」、親に百歳つき添っても嫌になることはあってはならないのではないかと一茶は言っているのだ。
◆子は両親が健在の時はなかなかこの一度きりの「縁」ということが自覚できない。ただオロオロするのが人間である。そして、その時にもう二度と遇うことのできない大切な人との「最期」を親に教えてもらうのだ。
◆この時に、ご両親以外の「二度と遇うことのできない大切な人」との「一度きりの縁」にも気がつかなければならない。まず、「一度きりの縁」とは「自分」という存在だ。そして、縁によって導かれた「あなたの隣」にいる人でもある。また、あなたを真ん中にして縁がどんどん広がることにも感謝しなければならないことにも気が付かせてくれるのだ。
◆尚の文書は、寛政12年(1800年)刊の天地庵我泉の歳旦帳(さいたんちょう)の裏面に書かれあったという。明治の世になってから束末露香(つかまつ ろこう)によって『父の終焉日記』と名付けられた。大正11年、露香の校訂本が荻原井泉水によって刊行されたそうだ。荻原井泉水は何度かPostしているのでそちらも。
◆俳人小林一茶が父の最期を看取ったときの話。
◆一茶は3歳で母を失い。8歳で継母を迎えるが継母とは折り合いが悪かった。15歳の時家を出て江戸に奉公に、そこで俳諧の道へ進むのである。
◆享和元年4月、一茶39才。帰省中の一茶が父を急病で失い、その初七日までの三十余日間を日記がある。そこには、日々衰弱してゆく父の姿と遺産問題を端に発した継母・弟との確執が描かれている。日本の私小説のルーツと言われる『父の終焉日記』だ。
◆4月23日、農作業中に倒れた父は26日、隣村の医師により傷寒(高熱を伴う疾患)と診断された。29日父は、枕元に一茶と弟仙六を呼び財産を半分にして分与することを伝える。
◆しかし、弟は父の言葉に反対し、いさかいとなった。5月2日父の病状が急変するが継母は見向きもしないとなまなましい。
「父ありてあけぼの見たし青田原」
この時の一茶の句である。本当は(家を出ることなどなく)父とともに農民として、夜がほのぼのと明けるころの勢いよく育ち始めた田を眺めたかったという心境か。
◆この日記には、一茶の弟が「長患いで寝たきりになって逝くより、早く逝って方がよい」と言ったとある。その言葉の冷たさに一茶は「親は二度あはるるものにしなき事にあれば、百歳つき添ひたりとも倦きたるまじきに(いやになることはない)…」と嘆くのだ。
◆「親は二度あはるるものにしなき事にあれば」とは、子として二度と実の親を持つ事ができないということだ。人生が一度きりであると同じように、実の親を持つこの縁は一度きりなのだ。その父と今生の別れをしてしまったらもう二度と会う機会はない。だから、「百歳つき添ひたりとも倦きたるまじきに」、親に百歳つき添っても嫌になることはあってはならないのではないかと一茶は言っているのだ。
◆子は両親が健在の時はなかなかこの一度きりの「縁」ということが自覚できない。ただオロオロするのが人間である。そして、その時にもう二度と遇うことのできない大切な人との「最期」を親に教えてもらうのだ。
◆この時に、ご両親以外の「二度と遇うことのできない大切な人」との「一度きりの縁」にも気がつかなければならない。まず、「一度きりの縁」とは「自分」という存在だ。そして、縁によって導かれた「あなたの隣」にいる人でもある。また、あなたを真ん中にして縁がどんどん広がることにも感謝しなければならないことにも気が付かせてくれるのだ。
◆尚の文書は、寛政12年(1800年)刊の天地庵我泉の歳旦帳(さいたんちょう)の裏面に書かれあったという。明治の世になってから束末露香(つかまつ ろこう)によって『父の終焉日記』と名付けられた。大正11年、露香の校訂本が荻原井泉水によって刊行されたそうだ。荻原井泉水は何度かPostしているのでそちらも。
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