耕田院の日常(71回目)|山形県羽前大山駅
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
投稿日:2022年10月10日(月)
◆都会に暮らす娘夫婦は、ときどき「みてね」というアプリで「孫」の近況を見せてくれるのだが、最近の投稿に「テレビを見ていて、急にクッションで顔を隠す」動作があった。
◆その時に動画の中で流れていた音声は、「千と千尋の神隠し(監督 宮崎 駿 プロデューサー 鈴木敏夫)」だった。場面は始めの方だろう。主人公の千尋と油屋のボイラー室の番人である釜爺(声 菅原文太)と話している声が聞こえた。
◆「わかるんだ」と思った。たぶん、テレビ画面では、蜘蛛の姿をした釜爺がボイラーを動かしているのだろうか。あるいは、ジブリお得意の空を走るように飛び回っているのか。孫は、ファンタジーの中に没入し、千尋の目になり、驚き、思わず顔を隠したのだろう。主人公に同化することで、「共感ということ」を学んでいるのかもしれない。
◆私は幼い頃に頭を隠す癖があった。今でも覚えているのは「1966年(昭和41)3月場所千秋楽」。3月生まれの私がもうすぐ5つ、保育園の頃のことだ。
◆まだ、練炭のコタツだったと思う。その日はみんなが居間に集まり、横綱柏戸に応援していた。テレビはもちろん白黒だ。両者全勝で迎えた世紀の一番。最後の仕切りが始まる頃には、私は頭からコタツにもぐりこんだ。
◆「はっけょい!!」
◆コタツの中で耳を澄ます。「あーー」という声。「あらーら」という声も。コタツから顔を出すと終わっていた。
◆この時の勝負は、立ち合いから柏戸は、「一気に攻め立てて」持ち味を存分に発揮するも、大鵬が、「脅威の粘り」を見せて土俵際で見事「うっちゃり」を決めて大逆転勝利。わずかな時間ながらも非常に見応えのある一番となった。また、大鵬はこの場所で19度目の優勝を飾っている。(おら、どすこいスポーツの大鵬柏戸名勝負より」)
◆横綱柏戸関は、郷土の産んだ力士だ。体が鋼のように強かった。横綱はそのあと引退してから鏡山部屋を率いた。あの頃は、夏になると鶴岡公園に土俵を組み、稽古をしていたものだ。あの頃の風物詩だ。
◆よく大人たちは、柏戸の話をしていた。横綱は、病気や怪我も多かった。大鵬関に比べると優勝回数も少なく、悲劇のヒーローだったかもしれないがが、勝っても負けても、相撲をやめても郷土の誇りだった。
◆今でも、鶴岡市は全ての小学校に、立派な土俵がある。どの学校の土俵にも、屋根とそれを支える太い4本の柱がある。四色の柱隠しも、幕も房もあるはずだ。鶴岡の小学校は、水泳大会や運動会、マラソン大会と同じように、全校での相撲大会がある(コロナ禍前まで)。女の子も相撲を取る。優勝者には梵天が贈られ、土俵入りも、弓取りも呼び出しもいた。
◆校内相撲大会で学ぶのは、勝っても、負けても「いい相撲」に拍手されることだ。「いい相撲」とは、「正々堂々」と闘うことである。その時に子どもたちは「相手を認める」気持ちも同時に学ぶ。体をぶつけなければわからないことがある。
◆もしも、コロナ禍をキッカケにしてなくなる運命だとしたら思うと残念だ。
◆さて、私であるが今でも相撲は好きだ。しかし、贔屓の力士の人生の賭けた大事な勝負を見届けることができない。初代貴乃花と北の湖戦もそうだったし、最近では、横綱前の稀勢の里と白鵬戦もそうだった。この年になっても、「相撲は勝ち負けではない」「いい相撲をとればいいのだ」とはいかない。なぜなら応援しているのは「分」の悪い方。ここで勝てなければ。次いつチャンスがあるかわからない。だから、勝負の前にヒリヒリしながらチャンネルを替える。
◆その時に動画の中で流れていた音声は、「千と千尋の神隠し(監督 宮崎 駿 プロデューサー 鈴木敏夫)」だった。場面は始めの方だろう。主人公の千尋と油屋のボイラー室の番人である釜爺(声 菅原文太)と話している声が聞こえた。
◆「わかるんだ」と思った。たぶん、テレビ画面では、蜘蛛の姿をした釜爺がボイラーを動かしているのだろうか。あるいは、ジブリお得意の空を走るように飛び回っているのか。孫は、ファンタジーの中に没入し、千尋の目になり、驚き、思わず顔を隠したのだろう。主人公に同化することで、「共感ということ」を学んでいるのかもしれない。
◆私は幼い頃に頭を隠す癖があった。今でも覚えているのは「1966年(昭和41)3月場所千秋楽」。3月生まれの私がもうすぐ5つ、保育園の頃のことだ。
◆まだ、練炭のコタツだったと思う。その日はみんなが居間に集まり、横綱柏戸に応援していた。テレビはもちろん白黒だ。両者全勝で迎えた世紀の一番。最後の仕切りが始まる頃には、私は頭からコタツにもぐりこんだ。
◆「はっけょい!!」
◆コタツの中で耳を澄ます。「あーー」という声。「あらーら」という声も。コタツから顔を出すと終わっていた。
◆この時の勝負は、立ち合いから柏戸は、「一気に攻め立てて」持ち味を存分に発揮するも、大鵬が、「脅威の粘り」を見せて土俵際で見事「うっちゃり」を決めて大逆転勝利。わずかな時間ながらも非常に見応えのある一番となった。また、大鵬はこの場所で19度目の優勝を飾っている。(おら、どすこいスポーツの大鵬柏戸名勝負より」)
◆横綱柏戸関は、郷土の産んだ力士だ。体が鋼のように強かった。横綱はそのあと引退してから鏡山部屋を率いた。あの頃は、夏になると鶴岡公園に土俵を組み、稽古をしていたものだ。あの頃の風物詩だ。
◆よく大人たちは、柏戸の話をしていた。横綱は、病気や怪我も多かった。大鵬関に比べると優勝回数も少なく、悲劇のヒーローだったかもしれないがが、勝っても負けても、相撲をやめても郷土の誇りだった。
◆今でも、鶴岡市は全ての小学校に、立派な土俵がある。どの学校の土俵にも、屋根とそれを支える太い4本の柱がある。四色の柱隠しも、幕も房もあるはずだ。鶴岡の小学校は、水泳大会や運動会、マラソン大会と同じように、全校での相撲大会がある(コロナ禍前まで)。女の子も相撲を取る。優勝者には梵天が贈られ、土俵入りも、弓取りも呼び出しもいた。
◆校内相撲大会で学ぶのは、勝っても、負けても「いい相撲」に拍手されることだ。「いい相撲」とは、「正々堂々」と闘うことである。その時に子どもたちは「相手を認める」気持ちも同時に学ぶ。体をぶつけなければわからないことがある。
◆もしも、コロナ禍をキッカケにしてなくなる運命だとしたら思うと残念だ。
◆さて、私であるが今でも相撲は好きだ。しかし、贔屓の力士の人生の賭けた大事な勝負を見届けることができない。初代貴乃花と北の湖戦もそうだったし、最近では、横綱前の稀勢の里と白鵬戦もそうだった。この年になっても、「相撲は勝ち負けではない」「いい相撲をとればいいのだ」とはいかない。なぜなら応援しているのは「分」の悪い方。ここで勝てなければ。次いつチャンスがあるかわからない。だから、勝負の前にヒリヒリしながらチャンネルを替える。
すてき
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