耕田院の日常(61回目)|山形県羽前大山駅
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
投稿日:2022年09月30日(金)
◆第一の試練は、「瞬き(またたき)」しないこと。機織り機の下に入り、機織り機見つめ続け、その結果、鋭利な錐で眼球を突かれても瞬きをしない能力を得た紀昌は飛衛に報告する。すると飛衛は、
「瞬かざるのみではまだ射を授けるに足りぬ。」と(まばたきをしないだけでは、まだまだと)
◆そして、飛衛は次の試練を告げた。
「視ることを学べ。視ることに熟して、さて、小を視ること大のごとく、微を見ること著のごとくなったならば、来きたって我に告げるがよいと。」
(視ることを学べと。小さいものが大きく見え、かすかなものがはっきりと見えたら、報告にくるがよいと)
◆そこで、紀昌がとった修行の方法は虱(のみ)を視ることだった。髪の毛につなぎ、それを窓にかけて一日中睨んで暮らすことにしたのだ。
◆修行の経過はこうだった。最初は、一匹の虱に過ぎなかったのが、時が経つうちに、気のせいか、ほんの少しながら大きく見えて来たという。そして、3ヶ月目の終りには、蚕(かいこ)ほどの大きさに見えて来たというのだ。
◆さらに、三年後。ふと気がつくと、虱が馬のような大きさに見えるようになったという。表へ出ると、全ての人は塔に、豚は丘に見えた。視る力を得たのだ。そして、紀昌は虱の心臓を射抜くことにも成功した。紀昌は、これを飛衛に報告する。
◆ここではじめて師匠の飛衛は「出かしたぞ」と褒めた。そうして、直ちに射術の「奥儀秘伝」を紀昌に授ける。
◆この時の紀昌の腕前は次のように書かれている。
百本の矢をもって速射を試みたところ、矢矢相属し、発発相及んで、後矢の鏃は必ず前矢の括に喰入るが故に、絶えて地に墜ることがない。瞬く中に、百本の矢は一本のごとくに相連なり、的から一直線…。
◆つまり、最初の矢の括(後ろ)に次の矢が刺さり、またその次へと続く。100本の矢が一直線に繋がるのだ。これには師匠の飛衛も思わず「善し!」といったそうだ。
◆しかし、このお話はここで終わりではない。
「もはや、師から学び取るべき何ものも無くなった紀昌は、ある日、ふと良からぬ考えを起した」とあるのだ。
◆皆さま、紀昌の「良からぬ考え」とは何だとお思いですか❓
問題
紀昌が「天下一の名人」になるには ( ) という良からぬ考え
明日に続く
※名人伝の魅力はその文章にもある。たとえば「視る」修行の一年目は次のような描写だ。
煕々(きき)として照っていた春の陽(ひ)は、いつか烈しい夏の光に変り、澄んだ秋空を高く雁(がん)が渡って行ったかと思うと、はや、寒々とした灰色の空から霙(みぞれ)が落ちかかる。
「瞬かざるのみではまだ射を授けるに足りぬ。」と(まばたきをしないだけでは、まだまだと)
◆そして、飛衛は次の試練を告げた。
「視ることを学べ。視ることに熟して、さて、小を視ること大のごとく、微を見ること著のごとくなったならば、来きたって我に告げるがよいと。」
(視ることを学べと。小さいものが大きく見え、かすかなものがはっきりと見えたら、報告にくるがよいと)
◆そこで、紀昌がとった修行の方法は虱(のみ)を視ることだった。髪の毛につなぎ、それを窓にかけて一日中睨んで暮らすことにしたのだ。
◆修行の経過はこうだった。最初は、一匹の虱に過ぎなかったのが、時が経つうちに、気のせいか、ほんの少しながら大きく見えて来たという。そして、3ヶ月目の終りには、蚕(かいこ)ほどの大きさに見えて来たというのだ。
◆さらに、三年後。ふと気がつくと、虱が馬のような大きさに見えるようになったという。表へ出ると、全ての人は塔に、豚は丘に見えた。視る力を得たのだ。そして、紀昌は虱の心臓を射抜くことにも成功した。紀昌は、これを飛衛に報告する。
◆ここではじめて師匠の飛衛は「出かしたぞ」と褒めた。そうして、直ちに射術の「奥儀秘伝」を紀昌に授ける。
◆この時の紀昌の腕前は次のように書かれている。
百本の矢をもって速射を試みたところ、矢矢相属し、発発相及んで、後矢の鏃は必ず前矢の括に喰入るが故に、絶えて地に墜ることがない。瞬く中に、百本の矢は一本のごとくに相連なり、的から一直線…。
◆つまり、最初の矢の括(後ろ)に次の矢が刺さり、またその次へと続く。100本の矢が一直線に繋がるのだ。これには師匠の飛衛も思わず「善し!」といったそうだ。
◆しかし、このお話はここで終わりではない。
「もはや、師から学び取るべき何ものも無くなった紀昌は、ある日、ふと良からぬ考えを起した」とあるのだ。
◆皆さま、紀昌の「良からぬ考え」とは何だとお思いですか❓
問題
紀昌が「天下一の名人」になるには ( ) という良からぬ考え
明日に続く
※名人伝の魅力はその文章にもある。たとえば「視る」修行の一年目は次のような描写だ。
煕々(きき)として照っていた春の陽(ひ)は、いつか烈しい夏の光に変り、澄んだ秋空を高く雁(がん)が渡って行ったかと思うと、はや、寒々とした灰色の空から霙(みぞれ)が落ちかかる。
すてき
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