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耕田院の日常(60回目)山形県羽前大山駅

「名人伝」を読もう①. 2022.9.16朝4時半の住職の話

投稿日:2022年09月29日(木)
◆弓の名人になるために、与えられた奇抜な修行を次々クリアして、「弓をとらない弓の名人」になるお話である。

◆「名人伝」とは、1942年発表された短編小説であり、「青空文庫」でも読むことができる。「青空文庫」とは、ちなみに誰にでもアクセスできる自由な電子本を、図書館のようにインターネット上に集めようとする活動で「著作権の消滅した作品」と、「自由に読んでもらってかまわない」とされたものがネットに公開されている。例えば、宮沢賢治と入力すれば、宮沢賢治の多分全ての作品を読むことがてきる。しかし、挿絵はない。

◆作者の紹介
中島敦 中学国語の山月記の作者だ。持病の喘息悪化のため33歳で夭折。中島撫山(ぶざん)の孫。従祖父、伯叔父、父と漢学一家だ。一高を経て、東京帝国大学国文科卒業。当時の最高の水準の教養の持ち主だ。中島文学の特色を、「自我や人間存在の不条理を追究」し「文体は古典的な格調がある」と評価されている。

◆山月記は悲壮感が漂う短編であったが、この名人伝には悲壮感はない。解釈も読み手に任されている。また、シニカルな面もあり、権威や大衆への批判もある。また、この主人公の修行、自己究明の果てが書かれているところが非常におもしろい。山月記の印象から静かな人物を想像してしまうが、エピソードをちらりと覗くと、彼は漢文の素養が抜群だっただけではなく、「英語」も堪能で、快活な青年という側面も持っていたようだ。

さて名人伝である。

◆登場人物から。

紀昌(きしょう)→弓の名人を目指している男
趙(ちょう、古代中国戦国時代の国)の邯鄲(かんたん、趙の都)に住む。天下一の弓の達人を志し、飛衛に弟子入りする。

▶︎飛衛(ひえい)→弓矢の名手 紀昌の師匠
弓矢の名手として知られ、百歩を隔てたところから柳の葉を百発百中で射ることができると言われている。

◆趙の邯鄲の都に住む紀昌は、天下一の弓の達人になることを決め、弓矢の名手で知られている飛衛を訪ねるところから、物語が始まっていく。
◆第一の修行から
飛衛は、弟子となった紀昌に、まず瞬(またたき)せざることを学べと命じた。第一の課題は、「まばたきを禁じ」た。すると紀昌は、なんと「妻の機織り台」の下に潜り込み、目の近くを機械が動いても瞬きをしない修行を始める。眼とすれすれに機躡が忙しく上下往来するのをじっと瞬かずに見詰ていようという工夫であだ。

◆二年後には錐の先で目蓋をつかれても、火の粉が目に飛びこんでも瞬きをしないようになった。彼の瞼は、もはやそれを閉じるべき筋肉の使用法を忘れ果て、夜、熟睡している時でも、目はカッと大きく見開かれたままだ。ついには、その目に蜘蛛が巣を張るまでになる。紀昌は自信を得て、飛衛にそれを告げる。第一の修行は完了だ。

◆飛衛の第二の課題は「小を視ること大のごとく、微びを見ること著のごとく視ることを学べ」だ。紀昌はどんな修行をして、この課題を克服するのだろう。
耕田院(山形県)

すてき

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