耕田院の日常(49回目)|山形県羽前大山駅
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投稿日:2022年09月19日(月)
◆図書館に、『葉っぱのフレディ-いのちの旅-』という絵本があった。一枚の葉っぱとして生まれたフレディのお話だ。
◆青々とした若い時期を経て、まさに生いっぱいに謳歌する夏を過ごし、秋には紅葉し、そして冬、枯れ葉となって人生を終える。その一年の移ろい中で、個々の存在意義や、死のとらえ方などを作者である哲学者レオ・バスカーリア博士がフレディと親友のダニエルを通して伝えている。
◆例えば、「自分の仕事や生きがい」「同じ葉なのにみんな違うわけ」「生きていてよかったのか」フレディの問いだ。まさに、「人生の疑問」の全ての答えがあるような「絵本」なのだ。
◆そして、「ぼく、死ぬのがこわいよ」というフレディに親友のダニエルは答える。
まだ経験したことがないことは、こわいと思うものだ。でも考えてごらん。
世界は変化し続けているんだ。変化しないものはひとつもないんだよ。
春が来て夏になり秋になる。
葉っぱは緑から紅葉して散る。
変化するって自然なことなんだ。
きみは春が夏になるときこわかったかい?
緑から紅葉するとき、こわくなかったろう?
ぼくたちも変化し続けているんだ。
死ぬというのも、変わることの一つなのだよ。
◆大自然の設計図は寸分の狂いも無く、“いのち”を変化させ続けている。大自然の大きな力、それこそが“いのち”なのだとフレディーは優しく語る。そして、フレディは“いのち”は変化の連続であり、死も変わることだと受け入れていく。
◆やがて冬が終わり、また春が来て、葉っぱのフレディは土に還り、また新たな「いのちの旅」を始める。
◆「無常」だ。「いのちの形は めぐりめぐりて 尽きることなし」「ただ 薪は灰となって後 さらに薪に帰らず 人のしぬるのちさらに生とならず」なのだ。それが、作者のいう「いのちの循環」だ。
◆自分はなぜこの世に生まれてきたのか、自分はこれからどうなっていくのか、「死ぬ」とはどういうことなのか、ということについて今を生きる我々を考えさせる絵本だ。是非。
◆最後に作者からのメッセージを添える。
この絵本を死別の悲しみに直面した子どもたちと
死について適格な説明ができない大人たち
死と無縁のように青春を謳歌している若者たち
そして編集者バーバラ・スラックへ贈ります。
ぼくは一本の木であり
バーバラはこの十年間かけがえのない葉っぱでした。
◆青々とした若い時期を経て、まさに生いっぱいに謳歌する夏を過ごし、秋には紅葉し、そして冬、枯れ葉となって人生を終える。その一年の移ろい中で、個々の存在意義や、死のとらえ方などを作者である哲学者レオ・バスカーリア博士がフレディと親友のダニエルを通して伝えている。
◆例えば、「自分の仕事や生きがい」「同じ葉なのにみんな違うわけ」「生きていてよかったのか」フレディの問いだ。まさに、「人生の疑問」の全ての答えがあるような「絵本」なのだ。
◆そして、「ぼく、死ぬのがこわいよ」というフレディに親友のダニエルは答える。
まだ経験したことがないことは、こわいと思うものだ。でも考えてごらん。
世界は変化し続けているんだ。変化しないものはひとつもないんだよ。
春が来て夏になり秋になる。
葉っぱは緑から紅葉して散る。
変化するって自然なことなんだ。
きみは春が夏になるときこわかったかい?
緑から紅葉するとき、こわくなかったろう?
ぼくたちも変化し続けているんだ。
死ぬというのも、変わることの一つなのだよ。
◆大自然の設計図は寸分の狂いも無く、“いのち”を変化させ続けている。大自然の大きな力、それこそが“いのち”なのだとフレディーは優しく語る。そして、フレディは“いのち”は変化の連続であり、死も変わることだと受け入れていく。
◆やがて冬が終わり、また春が来て、葉っぱのフレディは土に還り、また新たな「いのちの旅」を始める。
◆「無常」だ。「いのちの形は めぐりめぐりて 尽きることなし」「ただ 薪は灰となって後 さらに薪に帰らず 人のしぬるのちさらに生とならず」なのだ。それが、作者のいう「いのちの循環」だ。
◆自分はなぜこの世に生まれてきたのか、自分はこれからどうなっていくのか、「死ぬ」とはどういうことなのか、ということについて今を生きる我々を考えさせる絵本だ。是非。
◆最後に作者からのメッセージを添える。
この絵本を死別の悲しみに直面した子どもたちと
死について適格な説明ができない大人たち
死と無縁のように青春を謳歌している若者たち
そして編集者バーバラ・スラックへ贈ります。
ぼくは一本の木であり
バーバラはこの十年間かけがえのない葉っぱでした。
すてき
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住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、情報を発信しようという気持ちになりますし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。