耕田院の日常(45回目)|山形県羽前大山駅
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
投稿日:2022年09月15日(木)
◆「人間の本性」とは実に「おもしろい」。
◆アメリカニュージャージー州ラトガース大学の ネイル・ウェインスティン教授に「人間の本性」に迫る興味深い実験がある。
◆ネイル・ウェインスティン教授は、258名の大学生に次の二つの質問をする。
A「将来、あなたが飲酒上の問題を抱える可能性は、どのくらいありますか?」
B「他の学生がそういう問題を抱える可能性は、どのくらいあると思いますか?」
◆そして、「A:自分に起きる可能性」から「B:他人に起きる可能性」を引き算するのだ。結果は「マイナス58.3%」となった。実は、この数値が「自分に甘く、他人に厳しい」という人間の一つの本性を表す。
◆この「マイナス58.3%」の見方は、例えば「A」が30%(自分に甘い)と仮定した場合、「B」は93.5%(他人に厳しい)ということになる。つまり、自分が絶対に大丈夫、自分だけはアルコール中毒にならないと考える割合が「58.3%」ということになる。これは、「58.3%」が「自分への評価が甘い=自分に甘い」ということなのだ。
◆こうも言える。「飲酒上の問題」は、客観的には93.5%」リスクがあるとわかっていても、「自分は大丈夫」と「30%」しか危機感を持てないということなのだ。(最近起こっている様々な事故の原因の一端もこの危機意識にありそうだ)
◆なぜ、人間は「自分だけは大丈夫」と非現実的な思い込みを持つのだろうか。心理学者の内藤誼人さんは、私たちの心のメカニズムが原因だと強調する。こういうことだ。「不愉快な現実を考えたくない人間は、そのようなことを考えないようにするか、歪めて解釈しようとするのだ」と。そして、内藤誼人さんは、この非現実的な思い込みを妄想と呼び、無意識に作用するのだという。
◆「自分に甘く、他人に厳しい」という人間の本性は、真実から目を離し「歪めて解釈しようとする心のメカニズム」なのだ。しかも、無意識のうちに自分の都合のよいように、歪めるのだ。残念ながら、これが、人間の本性の一つだと自覚せねばならない。
◆つまり、自らを正しく観ることは、実は簡単なことではないということだ。しかし、正しく観て、理解できなければ、それこそ、気付かぬうちに「虚偽の世界」に遊び、やがては「無明」の中に迷い、苦しむことになってしまうのだ。
◆アメリカニュージャージー州ラトガース大学の ネイル・ウェインスティン教授に「人間の本性」に迫る興味深い実験がある。
◆ネイル・ウェインスティン教授は、258名の大学生に次の二つの質問をする。
A「将来、あなたが飲酒上の問題を抱える可能性は、どのくらいありますか?」
B「他の学生がそういう問題を抱える可能性は、どのくらいあると思いますか?」
◆そして、「A:自分に起きる可能性」から「B:他人に起きる可能性」を引き算するのだ。結果は「マイナス58.3%」となった。実は、この数値が「自分に甘く、他人に厳しい」という人間の一つの本性を表す。
◆この「マイナス58.3%」の見方は、例えば「A」が30%(自分に甘い)と仮定した場合、「B」は93.5%(他人に厳しい)ということになる。つまり、自分が絶対に大丈夫、自分だけはアルコール中毒にならないと考える割合が「58.3%」ということになる。これは、「58.3%」が「自分への評価が甘い=自分に甘い」ということなのだ。
◆こうも言える。「飲酒上の問題」は、客観的には93.5%」リスクがあるとわかっていても、「自分は大丈夫」と「30%」しか危機感を持てないということなのだ。(最近起こっている様々な事故の原因の一端もこの危機意識にありそうだ)
◆なぜ、人間は「自分だけは大丈夫」と非現実的な思い込みを持つのだろうか。心理学者の内藤誼人さんは、私たちの心のメカニズムが原因だと強調する。こういうことだ。「不愉快な現実を考えたくない人間は、そのようなことを考えないようにするか、歪めて解釈しようとするのだ」と。そして、内藤誼人さんは、この非現実的な思い込みを妄想と呼び、無意識に作用するのだという。
◆「自分に甘く、他人に厳しい」という人間の本性は、真実から目を離し「歪めて解釈しようとする心のメカニズム」なのだ。しかも、無意識のうちに自分の都合のよいように、歪めるのだ。残念ながら、これが、人間の本性の一つだと自覚せねばならない。
◆つまり、自らを正しく観ることは、実は簡単なことではないということだ。しかし、正しく観て、理解できなければ、それこそ、気付かぬうちに「虚偽の世界」に遊び、やがては「無明」の中に迷い、苦しむことになってしまうのだ。
すてき
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