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耕田院の日常(40回目)山形県羽前大山駅

「引きこもり」 2022/6/22朝4時半の住職の話」から

投稿日:2022年09月10日(土)
◆こんな報道があった。

◆ひきこもりを『仕事や学校等に行かず、家族以外の人との交流をほとんどしない人』と定義し、人口が70万の東京・江戸川区が、「ひきこもりの可能性がある15歳以上のおよそ25万人を対象に初めて大規模な調査」を行った。結果、14歳以下の不登校の子どもなどとあわせ、区内に9000人余りのひきこもりの人がいたという報道だ。

◆約4%ということになる。いろいろ原因はあろうと思う。いや、原因があるからそうなっているのである。いろいろ、様々重なって現在に至っているのである。しかし、誰でもが理想の両親に生まれ、理想の環境で育つわけではない。

◆しかし、生まれてきたからには、人はだれでも幸せになる権利がある。そのように生きる義務があると思う。さて、この人間の「究極の幸せ」は4つあると言う。

◆1つ目は「愛されること」。2つ目は「人に褒められること」。3つ目は、「人の役に立つこと」。4つ目は、「人に必要だとされること」だという。4つ並べてみると、一つ目の「愛されること」以外の3つは、社会に出て働いてこそ得られるものだ。つまり、社会に出ることが大事なのである。それがないと人間は幸せを求めることは難しくなるのだ。

◆それでは、どうすればいいのだろうか。今の環境・呪縛から逃れるには「その環境から抜け出すことができた人」に学ぶことだと思う。

◆呪縛から逃れることに成功した人が、共通に語ること一つに「生活の習慣へのアプローチ」がある。「着替えたか」「起床時刻」「就寝時刻」「食事はしたか」「風呂に入ったか」「洗濯したか」「ゴミは捨てたか」「歯は磨いたか」「掃除はしたか」を一つ一つ丁寧にすることが大事だという。つまり、「ひきこもり」をすることによって失ったものは、社会的には「プライド」「世間体」「遅れ」「時間」ではなく、人間としての当たり前の生活習慣なのだという。

◆失ったものを一つでも取り戻せれば、引きこもり脱出のスタートをしたと思ってもよいという。つまり、「心へのアプローチ」は難しいが、「生活習慣へのアプローチ」がその一歩目なのである。心を整えるには身体からのアプローチである。

◆そして、もう一つ加えたい。それは、「信仰」である。この「信仰」とは、神、仏などに「すがること」ではない。「助けてくれ」というのではない。内なる対話を繰り返す対象のことである。内なる対話を繰り返しながら、自分を強くしたいと願うことである。宗教でも、哲学でも音楽でもいい。お月さまでもお日さまでもよい。祈るのである。手を合わせるのである。自分を取りもどしたいと誓うのである。これが本来の仏さま、観音さま、あるいは神との対話なのである。もちろん、信頼できる人でもよい。対話するうちに、自ずと答えが見つかるはずだ。

◆しかし、これまで書いて思う。もし、「着替えたか」「起床時刻」「就寝時刻」「食事はしたか」「風呂に入ったか」「洗濯したか」「ゴミは捨てたか」「歯は磨いたか」「掃除はしたか」一つでもできなくなっていたら、「まあ、いいや」と思っていたら「心のバランス」も崩れている証拠かもしれない。「要注意」だ。
耕田院(山形県)

すてき

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