耕田院の日常(33回目)|山形県羽前大山駅
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投稿日:2022年09月03日(土)
◆昨日は自由律、荻原井泉水の27歳(大正12)の若さで先に逝った妻の臨終の刻へ追善の句。昨日に続き、今朝はその妻の33回忌の3句を取り上げる。死別より32年後の井泉水の心境である。
はるばる花もちて尋ねてきたのも石の前
水こそほしいと言いし日の、水を注ぐ
水かけて生き生きとした墓として秋のくれ
◆昭和30年頃だろう。東京中野の西方寺のお墓の前に立つ荻原井泉水である。「尋ねてきたのも石の前」。この句で着目したいのは、1句目は「墓」ではなく「石」であることだ。そして、この「石」が、3句目で「墓」になっていることである。
◆その秘密は2句目にある。「水こそほしいと言いし日の、水を注ぐ」である。昨日の句に「ただ水のうまさを言う最期なるか」とあった。荻原井泉水にとって亡き妻は、「末期の水」とともにある。だから病床の妻、「水こそほしいと言いし日の」の頃を思い出し、墓に水を注ぐのだ。お墓に水を掛け、濡らすのではなく、茶碗に入れるように注ぐのだ。たっぷり、たっぷりと注ぐのだ。亡き妻と話しながら注ぐのだ。
◆つまりこの3句は時間系列が重要なのである。
◆「墓」に水を注ぐうちに、「ただの石」が「生き生きとした墓」になるのである。仏心を持つ「石の仏」となるのである。
◆そして、もう一つ気になることがある。それは、「尋ねる」と「訪ねる」である。荻原井泉水は、はるばる花を持って「尋ねて」きたのだ。「訪ねて」きたのではない。
◆ところで、石仏という習わしを聞いたことはないだろうか。33回忌にその霊を石仏として供養することだ。つまり、33回忌でもってその霊は「弔いあげ」とするのだ。年忌の供養の終了となるのだ。ここで荻原井泉水は、故人に何を尋ねたかは知る由もないが、33回忌は一区切りである。
◆そして、昨日の始めに戻る。「仏としての石のほほえみ」は昭和44年の句だ。33回忌よりさらに10年後の句となる。「石のほほえみ」とは、野仏の微笑みであり、かつ50年ほど前に死別した妻の微笑みでもあるのだ。
はるばる花もちて尋ねてきたのも石の前
水こそほしいと言いし日の、水を注ぐ
水かけて生き生きとした墓として秋のくれ
◆昭和30年頃だろう。東京中野の西方寺のお墓の前に立つ荻原井泉水である。「尋ねてきたのも石の前」。この句で着目したいのは、1句目は「墓」ではなく「石」であることだ。そして、この「石」が、3句目で「墓」になっていることである。
◆その秘密は2句目にある。「水こそほしいと言いし日の、水を注ぐ」である。昨日の句に「ただ水のうまさを言う最期なるか」とあった。荻原井泉水にとって亡き妻は、「末期の水」とともにある。だから病床の妻、「水こそほしいと言いし日の」の頃を思い出し、墓に水を注ぐのだ。お墓に水を掛け、濡らすのではなく、茶碗に入れるように注ぐのだ。たっぷり、たっぷりと注ぐのだ。亡き妻と話しながら注ぐのだ。
◆つまりこの3句は時間系列が重要なのである。
◆「墓」に水を注ぐうちに、「ただの石」が「生き生きとした墓」になるのである。仏心を持つ「石の仏」となるのである。
◆そして、もう一つ気になることがある。それは、「尋ねる」と「訪ねる」である。荻原井泉水は、はるばる花を持って「尋ねて」きたのだ。「訪ねて」きたのではない。
◆ところで、石仏という習わしを聞いたことはないだろうか。33回忌にその霊を石仏として供養することだ。つまり、33回忌でもってその霊は「弔いあげ」とするのだ。年忌の供養の終了となるのだ。ここで荻原井泉水は、故人に何を尋ねたかは知る由もないが、33回忌は一区切りである。
◆そして、昨日の始めに戻る。「仏としての石のほほえみ」は昭和44年の句だ。33回忌よりさらに10年後の句となる。「石のほほえみ」とは、野仏の微笑みであり、かつ50年ほど前に死別した妻の微笑みでもあるのだ。
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