耕田院の日常(32回目)|山形県羽前大山駅
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
投稿日:2022年09月02日(金)
仏としての石のほほえみ 荻原井泉水
◆これも俳句である。荻原井泉水(おぎわら せいせんすい 1884〜-1976年)。これが、自由律俳句というものである。荻原井泉水は「生命を表現すること」を主張し,自由律俳句の理論確立と実践につとめた。自由律俳句とは、季語や五七五にとらわれないことをいう。ちなみに、この句は「六・七」だ。
◆「石のほほえみ」とは、野仏の微笑みであり、そのありがたさを詠んでいる。そして、石の中に仏があるように、それを拝む人の心にも仏心があることを教えている。
◆さて、荻原井泉水。27歳の妻が臨終の刻の句が残っている。
ただ水のうまさを言う最期なるか
今際(いまわ)の彼が時を問い しんと時移る
死に引かれゆく彼を引かれん 片手をにぎり
◆最愛の人の臨終の刻。そこには深い悲しみの中に、厳粛な空気が流れている。「しんと時移る」とはこの世とあの世の間、生と死の間(はざま)の表現である。この刻を境にして、永遠に二つに分かれてしまう。しかし、「死に引かれゆく」妻を、あちら側にいかせないと「片手をにぎる」井泉水がいる。しかしなから、かすかな微笑みと感謝、それとともに穏やかに死を受け入れ、先に逝く若き妻の姿がいる。
◆このコロナ禍で様々なことが制限されている。その一つに「大切な人の最期」に立ち会えないということがある。
◆父が亡くなった時は、家人と交代で病院に泊まることができた。夜、付き添うのである。一晩中、意識のない父とたくさん話をしたように思う。かけがえのないあの時間に、少しずつ別れの準備と覚悟ができたように思う。(結局、最期には立ち会えなかったが)「感謝を伝え」、「死を受け入れる」時間だった。父は、「死」ということはどういうことかということを、私にしっかりと引き継いでいってくれたように思う。今、改めて感謝している。
◆これも俳句である。荻原井泉水(おぎわら せいせんすい 1884〜-1976年)。これが、自由律俳句というものである。荻原井泉水は「生命を表現すること」を主張し,自由律俳句の理論確立と実践につとめた。自由律俳句とは、季語や五七五にとらわれないことをいう。ちなみに、この句は「六・七」だ。
◆「石のほほえみ」とは、野仏の微笑みであり、そのありがたさを詠んでいる。そして、石の中に仏があるように、それを拝む人の心にも仏心があることを教えている。
◆さて、荻原井泉水。27歳の妻が臨終の刻の句が残っている。
ただ水のうまさを言う最期なるか
今際(いまわ)の彼が時を問い しんと時移る
死に引かれゆく彼を引かれん 片手をにぎり
◆最愛の人の臨終の刻。そこには深い悲しみの中に、厳粛な空気が流れている。「しんと時移る」とはこの世とあの世の間、生と死の間(はざま)の表現である。この刻を境にして、永遠に二つに分かれてしまう。しかし、「死に引かれゆく」妻を、あちら側にいかせないと「片手をにぎる」井泉水がいる。しかしなから、かすかな微笑みと感謝、それとともに穏やかに死を受け入れ、先に逝く若き妻の姿がいる。
◆このコロナ禍で様々なことが制限されている。その一つに「大切な人の最期」に立ち会えないということがある。
◆父が亡くなった時は、家人と交代で病院に泊まることができた。夜、付き添うのである。一晩中、意識のない父とたくさん話をしたように思う。かけがえのないあの時間に、少しずつ別れの準備と覚悟ができたように思う。(結局、最期には立ち会えなかったが)「感謝を伝え」、「死を受け入れる」時間だった。父は、「死」ということはどういうことかということを、私にしっかりと引き継いでいってくれたように思う。今、改めて感謝している。
すてき
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、情報を発信しようという気持ちになりますし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。