こうでんいん
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耕田院の日常(25回目)
投稿日:2022年08月26日(金)
「仏の顔も三度まで」2022/7/27「朝4時半の住職の話」
◆本来の意味は、「しつこくやって、仏さまを怒らせる」という意味ではない。仏さまさえあきらめるという意味なのだ。
◆「仏の顔も三度まで」は、次の話が由来だ。
◆毘瑠璃王(ビルリ王)が主人公。紀元前6世紀頃、古代インドにコーサラ国の王であり、釈迦族を殲滅させた王だ。発端は王の出生だ。こんな秘密があったのだ。
◆コーサラ国王が釈迦族との婚姻を望んだ時、釈迦族は「なぜ卑しきものと縁を結ばなくてはならないのか」と、一計を案じ、大臣が下女との間に生ませた娘を偽って、コーサラ国王に嫁入りさせた。その後、誕生したのが毘瑠璃王である。
◆ところが、毘瑠璃王が8歳になった頃、「お前は下女の産んだ子だ」と釈迦族に告げられ、辱めをうける。それ以来、釈迦族に深い恨みを懐くようになった。
◆やがて王位についた毘瑠璃王は、釈迦族殲滅を企て進撃する。
◆それを知った釈尊は、一本の枯れ木の下で座って待っていた。進軍してきた王は釈尊を見かけると「世尊よ、ほかに青々と茂った木があるのに、なぜ枯れ木の下に座っているか?」と問う。釈尊は「王よ、親族の陰は涼しいものである。」と静かに答えた。これを聞き、王は兵を撤退させる。
◆しかし、一旦は国に戻った王であったが、釈迦族のことを許せない思いが抑えきれず、再び出兵する。二回目も釈尊は、同じ場所で待ち、王は兵を撤退させる。さらに三回目も。
◆しかし、四度目の時、釈尊は、「もともとの原因は、釈迦族がつくったものだ。これは因果応報である。この宿業を変えることはできない」とつぶやき、もう、進軍を止めることはしなかった。結果、釈迦族は滅びる。三度目でお釈迦さまも諦めたのだ。仏の顔も三度までだ。
◆過去の恨みの報復をした毘瑠璃王だったが、七日後、嵐に襲われて命を落としてしまう。
◆「怒りの感情」さえなくせたら…。大なり、小なり誰にでもあるのが「怒りの感情」。燃やし続けると、炎はどんどん大きくなる。毘瑠璃王のように自らをも燃やし尽くしてしまう地獄の業火である。諌めるもの、邪魔するもの、障害が大きければ益々燃えさかる。お釈迦さまの戒めさえも、火に油だ。
◆法然上人の父親は、臨終の刻「仕返しはならぬ、際限がない。私の菩提を弔って怨親平等の世界に生きよ」と言われた。これをもって法然上人は出家を決心されたといわれる。
◆怨親平等とは、怨憎する人々に対しても、親愛する人々に対しても、差別することなく、慈悲愛護の念をもって接することだ。慈悲の心、仏さまの眼から見ればどちらも平等にいつくしみ憐れむべきであるということだ。「恨みに報いる恨み」は、いつまでも続く。「天に代わって鬼退治」ではならない。裁くのは「人の恨み」ではない。
◆「天網恢々、疎にしい漏らさず」。天が地に張り巡らした網は、ゆったりして粗いようであるが、決して漏らすことはなく、それに搦め捕られる。悪事を行えば、一時的には逃げおおせるなどうまくいったように見えるが、結局は、捕らえられ、報いを受けるのだ。裁くのは天なのだ。
⭐︎「里見香奈女流4冠の棋士編入試験」もうすぐだ。先日は、NHKの将棋トーナメントに登場した。結果は残念だが、「よかった」。なにしろ解説者がすごく悩んでいた。30秒将棋の怖さと、相手五段の(まさかの)ノータイムで「飛車打ち」。(伝説になるだろう)すごい駒音だった。(はったりの一手!!!??)結局、里見さん結局逆転負けした。
⭐︎しかし、テレビを見ていた人は「里見は強い」とみんな思ったろう。彼女の努力は必ず天に通じる。
Instagramアカウトはこちらへ @oyamakodein
◆本来の意味は、「しつこくやって、仏さまを怒らせる」という意味ではない。仏さまさえあきらめるという意味なのだ。
◆「仏の顔も三度まで」は、次の話が由来だ。
◆毘瑠璃王(ビルリ王)が主人公。紀元前6世紀頃、古代インドにコーサラ国の王であり、釈迦族を殲滅させた王だ。発端は王の出生だ。こんな秘密があったのだ。
◆コーサラ国王が釈迦族との婚姻を望んだ時、釈迦族は「なぜ卑しきものと縁を結ばなくてはならないのか」と、一計を案じ、大臣が下女との間に生ませた娘を偽って、コーサラ国王に嫁入りさせた。その後、誕生したのが毘瑠璃王である。
◆ところが、毘瑠璃王が8歳になった頃、「お前は下女の産んだ子だ」と釈迦族に告げられ、辱めをうける。それ以来、釈迦族に深い恨みを懐くようになった。
◆やがて王位についた毘瑠璃王は、釈迦族殲滅を企て進撃する。
◆それを知った釈尊は、一本の枯れ木の下で座って待っていた。進軍してきた王は釈尊を見かけると「世尊よ、ほかに青々と茂った木があるのに、なぜ枯れ木の下に座っているか?」と問う。釈尊は「王よ、親族の陰は涼しいものである。」と静かに答えた。これを聞き、王は兵を撤退させる。
◆しかし、一旦は国に戻った王であったが、釈迦族のことを許せない思いが抑えきれず、再び出兵する。二回目も釈尊は、同じ場所で待ち、王は兵を撤退させる。さらに三回目も。
◆しかし、四度目の時、釈尊は、「もともとの原因は、釈迦族がつくったものだ。これは因果応報である。この宿業を変えることはできない」とつぶやき、もう、進軍を止めることはしなかった。結果、釈迦族は滅びる。三度目でお釈迦さまも諦めたのだ。仏の顔も三度までだ。
◆過去の恨みの報復をした毘瑠璃王だったが、七日後、嵐に襲われて命を落としてしまう。
◆「怒りの感情」さえなくせたら…。大なり、小なり誰にでもあるのが「怒りの感情」。燃やし続けると、炎はどんどん大きくなる。毘瑠璃王のように自らをも燃やし尽くしてしまう地獄の業火である。諌めるもの、邪魔するもの、障害が大きければ益々燃えさかる。お釈迦さまの戒めさえも、火に油だ。
◆法然上人の父親は、臨終の刻「仕返しはならぬ、際限がない。私の菩提を弔って怨親平等の世界に生きよ」と言われた。これをもって法然上人は出家を決心されたといわれる。
◆怨親平等とは、怨憎する人々に対しても、親愛する人々に対しても、差別することなく、慈悲愛護の念をもって接することだ。慈悲の心、仏さまの眼から見ればどちらも平等にいつくしみ憐れむべきであるということだ。「恨みに報いる恨み」は、いつまでも続く。「天に代わって鬼退治」ではならない。裁くのは「人の恨み」ではない。
◆「天網恢々、疎にしい漏らさず」。天が地に張り巡らした網は、ゆったりして粗いようであるが、決して漏らすことはなく、それに搦め捕られる。悪事を行えば、一時的には逃げおおせるなどうまくいったように見えるが、結局は、捕らえられ、報いを受けるのだ。裁くのは天なのだ。
⭐︎「里見香奈女流4冠の棋士編入試験」もうすぐだ。先日は、NHKの将棋トーナメントに登場した。結果は残念だが、「よかった」。なにしろ解説者がすごく悩んでいた。30秒将棋の怖さと、相手五段の(まさかの)ノータイムで「飛車打ち」。(伝説になるだろう)すごい駒音だった。(はったりの一手!!!??)結局、里見さん結局逆転負けした。
⭐︎しかし、テレビを見ていた人は「里見は強い」とみんな思ったろう。彼女の努力は必ず天に通じる。
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すてき
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