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耕田院の日常(19回目)山形県羽前大山駅

「雨月物語」 2022/6/915「朝4時半の住職の話」

投稿日:2022年08月20日(土)
◆六月中旬。鮎の季節に入った。おとりの鮎を使う友釣りが主流だ。川に泳ぎついた鮎は、半畳から一畳ほどの瀬を占有する。そこに侵入した鮎を撃退するのが「縄張り行動」だ。そこに着目し、おとりに針を吊るし、瀬に侵入させ、巧みに誘い、釣り上げるのだ。お檀家さんに、この鮎釣りの名人がいた。いつも、丁寧に下ごしらえをした「大振りの冷凍の鮎」を持ってきてくれた。月光川の鮎。大事なお客が来た時に頂いた。いつも大好評った。彼が鬼籍に入ってもう三年になる。

◆母も彼の鮎が大好きだった。しかし、同じ川魚でも、「鯉」が大の苦手だった。

◆子どもの頃のことだ。近くに鯉釣りの名人がいた。この名人も魚の習性を巧みについて釣り上げる。鮎ではおとりの鮎だが、鯉には雷なのだ。雷が鳴ると鯉が釣れるのである。

◆次のような展開で母を悩ませた。

夏になる。→雷が鳴る。→夕立だ。→しめたと、釣りの名人がやってくる。→糸を垂れる→巨大な鯉が釣れる→お寺に鯉を生きたまま持ってきてくれる。→太っとい鯉である。→母がお礼をいう→ふたのしたブリキのタライのなかで、鯉が一晩中暴れる→朝、母と私は鯉を川に放す。

◆次の日。また、雷である。→夕立だ。→そこに、釣りの名人が。→糸を垂れる→巨大な鯉が釣れる→お寺に鯉を生きたまま→また、また太っとい鯉である。→母がお礼をいう→ふたのしたブリキタライのなかで鯉が暴れる→母と私は鯉を川に戻す。

◆夏であるから、また、雷が鳴る。「申し訳ないがと」三回目に父が、辞退したらしい。

◆母は、たぶん「雨月物語」の「夢応の鯉魚」を知っていたのだろう。「夢応の鯉魚」とはこんなお話である。

◆主人公は近江国三井寺の興義という画僧。この興義が病で亡くなってしまうところから話が始まる。しかし興義の胸のあたりが温かかったので、弟子たちは、そのままにしておいた。すると三日後、なんと興義が生き返えるのだ。

◆生き返った興義は「檀家の平の助の殿がいま宴会をしているはずだから、呼んできなさい」と言う。使をやると、まさに平の助の殿は宴会の最中だ。

◆興義は事情を話し始めた。興義が語るには、「魚になって自由に泳ぎたい」と願うと途端に体が鯉になった。それから、琵琶湖で自在に泳いでいたという。しかし、突然釣りあげられてしまう。そして、檀家の平の助の屋敷の台所へ。いくら「私は三井寺の興義だ」と声をあげても、誰にも聞こえない。最後には、まな板の上だ。包丁刀で切られる寸前、目が覚めたとのことだ。

◆六道輪廻。「畜生」への生まれ変わりが「夢応の鯉魚」のテーマである。

◆修証義の一章に「人身(にんしん)得(う)ること難(かた)し 仏法値(お)うこと希なり」とある。我々は前世で行った善根の力に助けられて、今世において、鯉でも鮎でもなく、その他の畜生でもなく、人間の身に生まれてくることは、非常に得難いことであると説かれている。そればかりではなく、お悟りへ導くの仏の教えにも出会えているのだと。

◆有難いことだと。精進せよと。

⭐︎写真の橋の上から1メートルくらいの鯉が見えることがある。10年以上の寿命を持つという。川上に向かって悠々としている。
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耕田院(山形県)

すてき

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