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耕田院の日常(5回目)山形県羽前大山駅

「石橋秀野」2022/6/4「朝4時半の住職の話 」

投稿日:2022年08月05日(金)
◆一つ俳句を見つけた。そして、この句には、一人の母、妻のドラマがあった。

短夜(みじかよ)の 看とり給ふも 縁(えにし)かな   石橋秀野

◆作者の石橋秀野さんは、昭和21年(1946年)7月には夫(文芸評論家山本健吉)と一人娘と京都に転居した。 しかし、この頃には、石橋秀野さんは、重篤な病に侵されていた。

◆「短夜(みじかよ)の」とは、亡くなる年の6月夏至の頃であろうか。まるで、自らの命が長くないことを洞見していたかのような発句である。

◆続く、「看とり給ふ」。「家人(夫)」に看病して頂く、自分の死期を見守って頂くということだ。「縁・えにし」とは、つながりのことである。

◆しかし、この句の「縁」には、この世での「出逢いと別れ」のつながりだけではなく、自分の死に立ち会う「家人(夫)」へのもっと強くて、深い思いがこめられているように思う。うまく言えないのだが、私には、二人の関係を「生まれかわり 死にかわる」「何世にも渡る縁にある」と石橋秀野さんが諦観しているようさえ感じられるのだ。

◆そして娘へ思いである。

芋煮えて ひもじみまゝの 子の寝顔       石橋秀野
   
◆石橋秀野さんの病は、肺結核と腎臓病であった。「ひもじみまゝの子」。肺結核で床に伏しているので、十分な世話もできない。「家人(夫)」が帰ってきて、芋が煮えても、子どもは、ひもじいまま。すでに、泣き疲れて寝てしまっているということか。この子は当時6歳。名前は、万葉集から。安見子という女の子だ。

◆そして、7月21日。京都に転居して1年。ま夏である。家族に別れがやってくる。

蝉時雨 子は担送車に 追いつけず            
石橋秀野 

◆蝉の命は短く、儚い。蝉は命を繋いでいくために、自分が生きた証とするために、毎日懸命に鳴く。そして、時が来れば、自らの命を終える。その時の蝉は天を仰いで、手を合わせ、まるで合掌しているように身を地面に落とすのだ。その「蝉時雨」の刻である。

◆担送車とは、ストレッチャーのことであろう。夫の山本健吉はこの日の様子を次のように書き残している。

入院の日、僕たち親子3人はハイヤーで療養所につき、僕が受付で手続きを済ませている間に、看護婦たちは素早く彼女を担送車に乗せて、長い廊下を病室へと運び去りました。  
そばに父親の姿も見えず、母親もどこかへ運びとられてしまうのに青くなった6つの安見子が、必死になっての担送車の後を追いかけました。担送車の上から母親はしきりにオイデオイデをしています。後で病室で、彼女は僕にこのことを言い出し、「私のようなものも   親だと思えばこそ 追いかけてくる」と涙ぐみました。(虚構の衰退)

◆石橋秀野さんは、この2ヶ月後、昭和22年9月26日、京都宇多野療養所にて38歳で死去する。この石橋秀野さんの遺句集が「櫻濃く」である。

⭐︎家人の畑にいつの間にかじゃがいもの花が咲きました。野菜の花は力強く、季節の空にあっているといつも感心します。

▶︎今朝も最後まで読んでいただいてありがとうございます。あなたの朝のこころにアプローチ。「ああなあさここ」でした。

▶︎深呼吸で「心のデトックス」。一度息を全て「大地に」吐き出します。次に胸を広げて鼻から息をたっぷり入れます。最後は「吐く息は細く長く」です。呼吸をコントロールし、呼吸に集中。自分の心にアプローチ。

▶︎「自分の根っこ」に感謝。ここに自分があること。お父様、お母様。あなたの隣にいる人とそのご縁。これから出会う新しいご縁。全てに合掌しましょう。

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編集済み · 8週間前
耕田院(山形県)
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