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楽しみ方井岡寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年12月01日(月) 12時47分58秒
参拝:2023年10月吉日
山形県 鶴岡市 井岡甲 に境内を構える、大日山 井岡寺、当方は 道の駅 全国制覇者で、全国の寺社、霊場を巡礼してます 、2023.10月に出羽百観音、庄内三十三観音霊場巡礼にて参拝致しました、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は 大日山、寺号、院号は 井岡寺、宗派は 真言宗 智山派、ご本尊は 勢至観世音菩薩、庄内三十三観音霊場 第二十七番札所、荘内平和百八観音霊場 第十六番札所、出羽路 十三仏霊場 第九番札所、出羽百観音の一つ、当井岡寺は天長二年 淳和天皇の御代に皇子基貞郷が高野山に於いて修行の後源楽上人と称え諸国の霊場を巡拝の末井岡の地に天皇の勅願所をして阿迦井坊遠賀廼井寺を設立したのを始めとする。本尊 徳大勢至観世音菩薩を祀り、その伽藍は広壮華美を極め所謂う七堂伽藍の宝塔、講堂、経蔵、鐘楼、食堂、中門、大門等建ちならび州中の巨藍として出羽高野と呼称され広く崇拝されたものである。
その後、治暦年中に消失したが鎌倉殿の祈願所として再建を見た。
そして領主武藤家信仰厚く、頼朝公菩提のために三百石余りの寄進があった。
その後も数度兵火にかかったが、中興及栄上人の時代に最上家によって再建され寺領百七十二石五斗五升を寄進された。
これ羽黒、遊佐の竜頭寺に次いで庄内第三に位する多額の黒印状である。
今も薫る庄内名園の一である庭は及栄上人の築造にかかるものである。
又四百年の歴史を持つ巨木の桜は京都から持ち帰って植えたものといい傳えられている。
当寺の宝物には大網地区の楯主であった渡野四郎左衛門重吉の奉納された懸佛二面(旧文部省重要美術品)をはじめ弘法大師筆般若心経、本尊黄金秘仏一体を始め数うるに余りあるものが現存している。
観音堂の前には高さ2丈に及ぶ仁王像が左右に鎮座している。お堂の裏手にある庭は庄内名園の一つであり、樹齢約420年の枝垂れ桜は市の天然記念物にされている。江戸期まで習合していた延喜式内遠賀神社が現本堂(護摩堂)前石段を上ったところにある。
その後、治暦年中に消失したが鎌倉殿の祈願所として再建を見た。
そして領主武藤家信仰厚く、頼朝公菩提のために三百石余りの寄進があった。
その後も数度兵火にかかったが、中興及栄上人の時代に最上家によって再建され寺領百七十二石五斗五升を寄進された。
これ羽黒、遊佐の竜頭寺に次いで庄内第三に位する多額の黒印状である。
今も薫る庄内名園の一である庭は及栄上人の築造にかかるものである。
又四百年の歴史を持つ巨木の桜は京都から持ち帰って植えたものといい傳えられている。
当寺の宝物には大網地区の楯主であった渡野四郎左衛門重吉の奉納された懸佛二面(旧文部省重要美術品)をはじめ弘法大師筆般若心経、本尊黄金秘仏一体を始め数うるに余りあるものが現存している。
観音堂の前には高さ2丈に及ぶ仁王像が左右に鎮座している。お堂の裏手にある庭は庄内名園の一つであり、樹齢約420年の枝垂れ桜は市の天然記念物にされている。江戸期まで習合していた延喜式内遠賀神社が現本堂(護摩堂)前石段を上ったところにある。
すてき
投稿者のプロフィール

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宮城県、石巻市に在住、元々出張で日本各地を訪れる機会が在り思い出作りに道の駅スタンプラリーにも参加、気がつけば全国制覇者2022年第184号、今は休日、旅行で全国各地の食べ物、景色、温泉を探索、...もっと読む
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