最上十二札所 長谷堂観音堂のお参りの記録一覧
かつて長谷堂城があった山にある観音堂。最上三十三観音十二番札所でもある。
施錠されていないので、なかに立ち入れる。ロウソク、線香等火の用心でお願いします。
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山形県山形市長谷堂、標高229メートルの小高い山の上に在る最上三十三観音、第十二番札所長谷堂、アクセスには登れる場所が3ヵ所在り、朱印所の長谷堂別当、長光院向かい側の2〜3台程駐車出来る駐車場側から登る事が出来ましたが、2023.8月には橋が工事中で橋内側に山をぐるりと回った山の縁に防火水槽の様な所在りますので止めると長谷堂参道側から登れます、長谷堂城跡にはその他に大きめの駐車場が2ヵ所在りますが御堂までは遠いと思います。どの様な寺院、御堂かと調べて見ました、最上三十三観音霊場、第十二番札所、出羽百観音の一つ、源頼義が奥州の賊伐に際し、大和の長谷寺の観世音を守護仏として、自分の兜の中に収めてきた。やがて、賊を討って都に帰ろうとしたある夜、観音の霊夢を感じた。それは「我れを永く此の地に止めて祀らしめよ」というものであったため、頼義はここにお堂を建て、持ってきた仏像を安置した。地名や山号である長谷堂、長谷山は、大和の長谷寺から生まれたものである。
嘉永元年、火災のためお堂は灰になったが、尊像だけは時の住職や信者の手で取り出され、一時、米沢に移していたが、仮堂が出来たので翌年帰山した。時の領主、秋元但馬守は、深くこの観音を信仰し、立派なお堂を再建し現在に至っている。境内には秋元氏の碑が建立されている。別当長光院の方は目が不自由な為ご自分で朱印を押す事になり墨書きも出来ません、他の札所で書いて頂けますので好みの場所で書いて頂いて下さい、私は三十一番札所の浪高山 東善院光清寺で書いて頂きました、料金も釣銭無い様ご用意下さい、迷った方は、最上三十三観音札所別当会に連絡して見て下さい。歴史的建造物、仏閣神社巡り、パワースポット、絶景、景色撮影、山登り、最上三十三観音霊場巡り、三十三観音諸願成就祈願、出羽百観音巡り山形県山形市観光、御朱印集め等好きな方訪れて見て下さい。
私は好みの、三十一番札所、浪高山 東善院光清寺で墨書きして頂きました。
山形県のおすすめ2選🎌
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