とうけいじんじゃ
闘鶏神社のお参りの記録一覧
世界遺産に登録されている、闘鶏神社に2度目の参拝。
イザナミノミコトを始め、複数の神様が祀られている、穏やかな神社です。
藤嚴神社の御朱印もいただきました。
闘鶏境内の境内というか、すぐお隣の藤嚴神社。
御祭神
西御殿
速玉之男命 事解之男神
本殿
伊邪那美命
上御殿
伊邪那岐命 天照皇大神 宇賀御魂命
中御殿
瓊々杵尊命 鵜草葺不合命 火々出見尊
天之忍穂耳命
下御殿
火産霊命 弥都波能売命 稚産霊命
埴山比売命
八百萬殿
手力男命 八百万神
熊野三所権現を勧請
鬪雞神社に祈願して三山参詣に替えたという伝承もあり、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の別宮的存在です。
昔は熊野三山をお詣りするのは大変だったと思います😰
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」追加登録されています。
熊野三山をめぐる熊野古道は
中辺路(北側で山の中を通る路)
大辺路(南側で海側を通る路)
闘鶏神社は中辺路と大辺路の分岐点にあたります。
武蔵坊弁慶の父であると伝えられる熊野別当湛増が、平氏と源氏のどちらに味方をするか熊野三山の神託を得るため、本殿の前で
平氏に見立てた赤い鶏7羽
源氏に見立てた白い鶏7羽
を用意し順番に赤と白で闘わせた。(闘鶏)
結果、白が勝ち、湛増は源氏に加勢。
熊野水軍を率いて壇ノ浦へ出陣⚑゛
源氏が勝利、平家は滅亡した。
と有名なお話☺️︎︎👍🏻💕︎(私は知らなかったです🤣)
御本殿は6つの社殿が並んでました。
境内に鎮座
藤巌神社 御祭神 安藤直次公
(現在の田辺の基礎を作った)
農民の貧困対策として梅の栽培を奨励された事が今の日本一の梅の産地につなかってます。🔴
藤巌神社の御朱印
樹齢1,200年と伝わり、市天然記念物に指定されています。延命長寿・無病息災の信仰があり、また、楠の葉を歯痛の患部につけると平癒すると言われています
弁慶社 御祭神 武蔵坊弁慶
家内安全・社運隆昌・立身出世・衆災消除の御利
田辺市にある闘鶏神社です。
名前の由来通り、鶏を闘わせたことから、勝負の神社として知られております。
こちら、2016年に紀伊山地の一部として世界遺産に指定されております。
駐車場が目の前にあるので、車を降りてすぐに参拝できます。弁慶の銅像などもあり、歴史のある神社であることが感じられました。
すぐ隣に公園があるので、子供連れで来られる方は、遊ばせている間に参拝するとこも出来ますよ。
境内には、藤嚴神社もありましたので、そちらにも寄らせて頂きました。
御朱印は社務所にて両社のを書いて頂けました。この度はご縁が出来たこと嬉しく思います。
どうもありがとうございました。
社標
鳥居
手水舎
拝殿
直書きして頂きました。
藤嚴神社の鳥居
藤嚴神社の御朱印です。
紀州田辺の闘鶏神社にお参りしました
熊野権現をはじめ熊野三山の全ての神が勧請され、熊野の別宮的な存在となっています
社務所で御朱印をいただく際に、美味しい紀州梅を一粒くださいました
神社の入り口、大きな鳥居と社柱
鳥居の扁額は「闘鶏神社」
手水舎
拝殿、後ろの森は仮庵山
拝殿
拝殿には注連縄が掛けられています
拝殿の左手にある絵馬かけと西殿
絵馬は、安産祈願の猫と、丸型の鶏、一般的な形のものが掛かっています
社殿が、西殿、本殿、上殿、中殿、下殿、八百萬殿の順に並んでいます
本殿は外装工事中のようでした
鬪雞の像
鬪雞神社の名は、源平合戦の折に両軍から援軍を要請された熊野別当・湛増が、赤を平氏、白を源氏に見立てた紅白7羽の鶏を闘わせ神意を占ったことに由来するそうです
鬪雞を行う湛増と弁慶像の像
白の鶏(源氏)が勝利し、湛増は源氏の加勢として熊野水軍200隻を率い出陣したのだそう
湛増は武蔵坊弁慶の父と伝えられ、田辺市内にはあちこちに弁慶に関わる史跡が残っています
源平合戦における鬪雞と熊野水軍のお話
弁慶社
十日戎神社
鶏姫弁財天社
御神木の大楠
藤巌神社
江戸時代に田辺を治め街の基礎を作った安藤直次公が祀られています
藤巌神社の近景
境内の外の公園にも大きな楠がありました
社伝によると允恭天皇8年(419年)に創建⛩
白河天皇の時代(1073~1087)に熊野三所権現を勧請し、熊野参詣の折には鬪雞神社に参拝して心願成就を祈願したと言います⛩
また、鬪雞神社に祈願して三山参詣に替えたという伝承もあり、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の別宮的存在として熊野信仰の一翼を担っていました⛩
社殿は熊野本宮大社が川の増水で流失する以前と同じ配置をしており、熊野信仰の歴史をいまに伝える貴重な場所です⛩
本堂の前に🐓🐓‼️
鬪雞神社の名は平家物語壇ノ浦合戦の鶏合せの故事に由来します🐓
源氏と平氏の双方より熊野水軍の援軍を要請された武蔵坊弁慶の父であると伝えられる熊野別当・湛増(たんぞう)が、どちらに味方をするかの神意を確認するため、神社本殿の前で赤を平氏、白を源氏に見立てた紅白7羽の鶏を闘わせました🐓🐓すると、ことごとく白(源氏)の鶏が勝利したため、源氏に加勢することを決め、熊野水軍200隻を出陣させました。熊野水軍の加勢が合戦の勝敗に結びついたともいわれます🐓
境内の一角にはその様子を再現した湛増と弁慶像がこれです🗡
競馬の勝利に導くと言われている馬の像🐎
ご朱印を撮ってると「闘鶏だから2羽いないとね」と言ってご自分のおみくじも置いてくれた優しいお方が😊
御神木🌳パワーをいただきました😆
世界遺産に登録されている、熊野大権現 熊野三山三世信仰 源平合戦ゆかりの神社。
闘鶏神社です
神仏霊場巡拝の道 和歌山5番
専用御朱印帳にて頂きました
オリジナル御朱印帳
熊野曼荼羅霊場 第1番 専用御朱印帳にて頂きました
平安時代から鎌倉時代初期にかけて熊野別当を務めた湛増が、源平どちらにつくかを占うために闘鶏を行ったという伝承のある神社。湛増は武蔵坊弁慶の父であるという伝承もあり、闘鶏神社境内には弁慶社や湛増と弁慶の像など、弁慶ゆかりの地らしいものもありました。
到着したところ、ちょうど日供祭が行われており、途中からにはなりましたが一緒にお参りしました。出勤前らしい格好の地元の方も数名おられ、地元の方に愛されている神社という感じです。
御朱印は日供祭のあと頂きました。境内には田辺藩初代藩主の安藤直次公をお祭りする藤巖神社もあり、そちらの御朱印もあわせて頂きました。御朱印帳については頂く予定はなかったのですが、弁慶のデザインがあまりに格好よくてつい。
闘鶏神社御朱印
藤巌神社御朱印
手水
湛増弁慶の像
御由緒
藤巖神社の鳥居
弁慶社
弁慶社
玉置神社
JR紀伊田辺駅より徒歩10分以内の近くです。
創建は1600年前に遡ると、田辺の宮に始まり四度の社名変遷を経て全国唯一の社名。
熊野大権現と呼ばれていたが、明治の神仏分離令により闘鶏神社と改称しています。
かの南方熊楠は神社宮司の四女と結婚されています。
御朱印には鶏合印が押されます。
神社境内入り口手前の鳥居、右手に馬場のなごこり。
拝殿奥に熊野本宮大社の社殿と同じ6棟が横一列並んだ社殿は一部工事中でした。
境内に田辺藩祖安藤家初代を祀る藤巖神社があり、社務所にて御朱印がいただけます。
田辺は弁慶誕生の地と伝えられていますが、父の熊野別当湛増との像。源平の壇ノ浦の戦いでいずれに味方するか決めかね、紅きは平家・白きは源氏の鶏を闘わせ白が勝ち源氏に熊野水軍は味方することになったと。
参道途中に、田辺市街なかポケットパークが有り、ガイドさんや観光情報が得られ、きれいな公衆トイレがあります。
《世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」その22》
「口熊野」闘鶏神社です。
闘鶏神社は京都・大阪から続く紀伊路の分岐点にあたる紀伊田辺にあります。社殿が一列に並ぶ様は大斎原に在りし日の熊野本宮大社に似ているとか。
当社は熊野三山の玄関口とされ、熊野三山の祭神を祀る別宮の性格を持っています。
社号の由来は源平合戦の際に紅白の鶏を闘わせたことからきており、白の鶏が勝つのを見て源氏に与したのは時の熊野別当であった湛増。武蔵坊弁慶の父との説もある人物です。
闘鶏神社に参拝の後は、昔の巡礼者の足跡をたどり中辺路を本宮へと向かいました。
その21へ
https://hotokami.jp/area/wakayama/Hrtts/Hrttstk/Dskmy/103072/98458/
その23へ
https://hotokami.jp/area/wakayama/Hrtts/Hrttstk/Dskmy/103076/100303/
《ご朱印》
《一の鳥居》
地元のボランティアの方が内宮式年遷宮の際にいただいた木材で建てた鳥居と教えてくれました。
綺麗に整備された参道ですね。
《二の鳥居》
《世界遺産の碑》
《扁額》
《馬場跡》
二の鳥居前に設置された長さ230mの馬場跡。
江戸時代より流鏑馬が行われていたそうです。
《手水舎》
《境内》
《弁慶社》
ご祭神:武蔵坊弁慶
諸説ありますがここ紀伊田辺は弁慶の生誕地とされ奥州平泉にて亡くなった弁慶を悼んだ田辺の人々によって「弁慶松」が植えられました。弁慶松の根元で祀られてきたお社が遷座されたものです。
ご利益は立身出世・衆災消除。
《藤巖神社》
ご祭神:安藤直次公
徳川家康の子:頼宣の傅役にして家康の側近。
頼宣が紀州徳川家の家祖となった際、附家老として田辺に封ぜられました。城下町の整備を行い明治に至るまでの発展の基礎をつくった人物です。
《ご神木:大楠/田辺市指定天然記念物》
樹齢は約1200年。
大楠の枝の上には新たな生命が芽吹いていました。
狛犬さん
年月を経て丸みを帯びた狛犬さん。
《拝殿》
ご祭神:伊邪那美命
《西殿》
速玉宮:速玉之男命、結宮:事解之男命
二柱の神は人の誕生と寿命を司るとされます。
たくさんの安産祈願の絵馬が奉納されていました。
《上殿》
若宮:天照皇大神・伊邪那岐命・宇賀御魂命
《中殿》
禅師宮:忍穂耳命(天照皇大神の御子神)
聖宮:瓊々杵命(忍穂耳命の御子神)
児宮:火々出見命(瓊々杵命の御子神・山彦)
子守宮:鵜草葦不合命(火々出見命の御子神)
鵜草葦不合命の御子が神武天皇とされます。
《下殿》
一萬宮:火産霊命(火の神)
十萬宮:埴山比売命(土の神)
勧請十五社宮:弥都波能売命(水の神)
飛行宮:稚産霊命(五穀・養蚕の神)
四柱の神は生活の源泉と産業を守護する神です。
《八百萬殿》
満山宮:八百萬神・手力男命
ヤオヨロズノカミ…?なんと懐の広いお社でしょう。
多くの神々が祀られ横一列に並んだお社。
《十日戎神社》
ご祭神:戎大国二神
商売繁盛・招福金運の神。
《玉置神社》
ご祭神:手置帆負命
建築・造船・大工の神。
《鶏姫弁財天社》
ご祭神:市杵島姫命
音楽・芸術の神。弁天さま。
《湛増弁慶の像》
一の谷の戦から海上戦に移った源平合戦において、当時最強を誇った熊野水軍の動向が勝敗に大きな影響を及ぼすため、源平双方からの働きかけは熾烈を極めたとされます。義経の命を受けた弁慶は湛増の説得に成功し、湛増は紅白の鶏を闘わせて神意を確認したとか。
《授与所》
ご朱印を書いて下さった神職さんが同じメーカーのカメラをお使いで話が盛り上がりました。
神職さんに道分け石の場所を聞いてお社を後に。
ありがとうございました。
《道分け石》
紀伊田辺は大辺路と中辺路の分岐点として発展してきました。京都・大阪から続いてきた紀伊路が那智への大辺路と本宮への中辺路に分かれます。
《古道の分岐点》
手前(紀伊路)左(中辺路)奥(大辺路)。
紀伊路からの旅人は「左くまの道」の指示に従って本宮大社へ。中辺路からの旅人は「右きみい寺」の指示に従って紀三井寺へ向かったのでしょう。
それでは中辺路をたどって行きましょう。
(テーマが「参詣道」ですから)
《秋津王子跡》
中辺路は白河上皇、後白河上皇、後鳥羽上皇、藤原定家なども通った道です。熊野古道沿いには皇族・貴人の熊野詣に際して守護を祈願したお社が点在し「九十九王子」と呼ばれます。
《万呂王子跡》
《三栖王子跡》
《八上王子跡/現:八上神社》
《八上神社境内》
《稲葉根王子跡》
九十九王子の中で格式を異にする五体王子の一つ。
《稲葉根王子》
《滝尻王子跡》
五体王子の一つ。
滝尻王子より先は熊野の聖域とされました。
《世界遺産の碑》
静かな境内です。
山が間近に迫り川が近くを激しく流れます。
太陽の光を遮るように樹木が生い茂り薄暗い境内。
まさに聖域のはじまりといった感が。
《滝尻王子》
《熊野古道中辺路/滝尻王子通過後》
熊野本宮大社まで続く長く険しい山道。カーナビは本宮大社まで約35km先と示しています。苦難の果てにたどり着いたお社は当時の人々の目にどう映ったのか。それでは本宮大社へ参りましょうか。
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