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くまのほんぐうたいしゃ

熊野本宮大社の編集履歴
2023年11月20日(月)
和歌山県 新宮駅

大國主神社さんのプロフィール画像
大國主神社
2023年11月20日 21時41分

ご由緒

当宮は熊野三山(本宮・新宮・那智)の首位を占め、全国に散在する熊野神社の総本宮で、熊野大権現として広く世に知られています。御祭神は家津御子大神、すなわち素戔嗚尊と申し、樹木を支配される神であり、紀国(木の国)の語源もここから起こっております。
大神は植林を御奨励となり、造船の技術を教えられて、外国との交通を開かれ、人民の幸福を図られるとともに、生命の育成発展を司られた霊神で、第十代崇神天皇の御代に熊野連が当地に社殿を造営して鎮祭したと伝えられています。
奈良朝のころから修験の行者が頻繁にここに出入りして修行し、ますます神威が広まりました。延㐂七年(約千年前)宇多天皇の御幸をはじめ約三百年にわたり法皇・上皇・女院の御幸は百数十年に及びました。これが史上有名な熊野御幸であります。
これと前後して当時の神仏習合によって、御主神を阿弥陀如来といって尊び、日本一といわれた霊験を仰ごうとする参詣者は全国各地から熊野の深山幽谷を埋め「蟻の熊野詣」とか「伊勢に七度熊野に三度どちらかが欠けても片参り」などとうたわれるとともに全国に御分霊を祭り、その数は現在五千数社を数えています。その後源平の争乱、承久の変、南北朝の戦乱と様々な変災の渦中にありながら人身の信仰はますます高まり、当宮の神威は熊野牛王(おからす様)の神符とともに全国に伝播して、明治時代に至りました。
現在の社殿は享和二年、徳川家斉将軍の命によって紀州侯治宝卿が音無里、現本宮町大斎原(指定文化財)に建立されましたが、明治二十二年の大出水にあって現在地に修造して遷座されたものであります。この社殿のつくり方を「熊野造」と申し上げます。
なお旧社地は大斎原と呼び、石祠二殿を仮宮として、西方に中四社、下四社を、東方に元境内摂末社を合祠してあります。

編集前:当宮は熊野三山(本宮・新宮・那智)の首位を占め、全国に散在する熊野神社の総本宮で、熊野大権現として広く世に知られています。御祭神は家津御子大神、すなわち素戔嗚尊と申し、樹木を支配される神であり、紀国(木の国)の語源もここから起こっております。
大神は植林を御奨励となり、造船の技術を教えられて、外国との交通を開かれ、人民の幸福を図られるとともに、生命の育成発展を司られた霊神で、第十代崇神天皇の御代に熊野連が当地に社殿を造営して鎮祭したと伝えられています。
奈良朝のころから修験の行者が頻繁にここに出入りして修行し、ますます神威が広まりました。延㐂七年(約千年前)宇多天皇の御幸をはじめ約三百年にわたり法皇・上皇・女院の御幸は百数十年に及びました。これが史上有名な熊野御幸であります。
これと前後して当時の神仏習合によって、御主神を阿弥陀如来といって尊び、日本一といわれた霊験を仰ごうとする参詣者は全国各地から熊野の深山幽谷を埋め「蟻の熊野詣」とか「伊勢に七度熊野に三度どちらかが欠けても片参り」などとうたわれるとともに全国に御分霊を祭り、その数は現在五千数社を数えています。その後源平の争乱、承久の変、南北朝の戦乱と様々な変災の渦中にありながら人身の信仰はますます高まり、当宮の神威は熊野牛王(おからす様)の神符とともに全国に伝播して、明治時代に至りました。
現在の社殿は享和二年、徳川家斉将軍の命によって紀州侯治宝卿が音無里、現本宮町大斎原(指定文化財)に建立されましたが、明治二十二年の大出水にあって現在地に修造して遷座されたものであります。この社殿のつくり方を「熊野造」と申し上げます。
なお旧社地は大斎原と呼び、石祠二殿を仮宮として、西方に中四社、下四社を、東方に元境内摂末社を合祠してあります。

見所

<h3>全国の熊野神社の総本宮</h3>
熊野本宮大社は熊野神社の総本宮であり、熊野三山の一つでもあります。
熊野三山というのは、熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社の3つのことを指しますが、
その中でも、本宮大社が首座といわれています。
<h3>日本一高い漆黒の鳥居</h3>
明治の大洪水により、熊野本宮大社は流されてしまいました。
しかし、それ以前に社殿が置かれていた場所になんと高さ42メートルの日本一の鳥居が残されています。
また、漆黒の鳥居は全国でも珍しく、高さに加え、ここしかない魅力の一つです。

編集前:<h3>全国の熊野神社の総本宮</h3>
熊野本宮大社は熊野神社の総本宮であり、熊野三山の一つでもあります。
熊野三山というのは、熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社の3つのことを指しますが、
その中でも、本宮大社が首座といわれています。
<h3>日本一高い漆黒の鳥居</h3>
明治の大洪水により、熊野本宮大社は流されてしまいました。
しかし、それ以前に社殿が置かれていた場所になんと高さ42メートルの日本一の鳥居が残されています。
また、漆黒の鳥居は全国でも珍しく、高さに加え、ここしかない魅力の一つです。

アクセス

JR新宮駅から熊野交通バスにて「本宮大社前」下車、徒歩約2分

車の場合、阪和自動車道「南紀田辺」ICから国道311号線で約100~120分

編集前:JR新宮駅から熊野交通バスにて「本宮大社前」下車、徒歩約2分

車の場合、阪和自動車道「南紀田辺」ICから国道311号線で約100~120分

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kumanohongutaisha.official

巡礼

神仏霊場巡拝の道・和歌山第4番札所
熊野曼陀羅三十三ヶ所霊場第14番札所

編集前:神仏霊場巡拝の道・和歌山第4番札所
熊野曼陀羅三十三ヶ所霊場第14番札所

文化財

第一殿・第二殿・第三殿・第四殿(国指定重要文化財)
本宮大社境内(国指定史跡)

編集前:第一殿・第二殿・第三殿・第四殿(国指定重要文化財)
本宮大社境内(国指定史跡)

御朱印の説明

真ん中に熊野本宮と書かれ、右上に大鳥居の印、真ん中に八咫烏の印、熊野本宮大社の印が押されています。
八咫烏(やたがらす)は、日本神話に登場する、素盞鳴尊(すさのおのみこと)のお仕えです。
大鳥居は、熊野本宮大社の旧社地である大斎原にあります。
大斎原の御朱印もいただけます。

編集前:真ん中に熊野本宮と書かれ、右上に大鳥居の印、真ん中に八咫烏の印、熊野本宮大社の印が押されています。
八咫烏(やたがらす)は、日本神話に登場する、素盞鳴尊(すさのおのみこと)のお仕えです。
大鳥居は、熊野本宮大社の旧社地である大斎原にあります。
大斎原の御朱印もいただけます。

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