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すさじんじゃ

須佐神社
和歌山県 箕島駅

パーキング
駐車場
あり

石段下に広い駐車場あり
車参道を通って石段上にも5台程度駐車可
(但し道は狭く急な坂道)

御朱印について御朱印
あり
ありません
限定
-
御朱印帳
あり

おすすめの投稿

神祇伯
神祇伯
2023年03月09日(木) 20時25分02秒
1690投稿

紀伊国在田郡の名神大社です。社名の通り須佐之男命さまを祀る神社で、同国の名神大社である伊太祁曽神社(五十猛命)、大屋津比売神社(大屋津姫命)、都麻都比売神社(都麻津姫命)の3社の父君でもあります。名神大社でここまで家族構成が分かりやすいという珍しい例です。

須佐神社(和歌山県)

《一の鳥居》
かなり大きいです。

須佐神社(和歌山県)

《祈願一覧》
災難除けの神様と紹介されていますが、かつては面していた海を渡る船が敬意を示さなかったことから転覆させる災いを起こしていたらしいです。さすが荒ぶる神さま筆頭…

須佐神社(和歌山県)

《二の鳥居と社号碑》
小高い丘に向けて参道が続いています。

須佐神社のその他建物

《表参道》
突き当たりには白い神馬さんがお待ちしています。

須佐神社(和歌山県)

《伊太祁曽神社遥拝所》
御子神であり一宮でもあります。紀伊国は一宮が3社あり、それぞれが全く別々の系譜、勢力に属しておりなかなか面白い構成をしています。

須佐神社(和歌山県)

《三の鳥居と中天》
いい天気でした。

須佐神社の手水舎

《花手水》
あくまで観賞用で、二の鳥居の横には柄杓ありの手水舎があります。

須佐神社(和歌山県)

《神門》
割拝殿型です。

須佐神社(和歌山県)

《拝殿》🙏
真ん中にまた別に祝詞殿のような建物があり、本殿がかなり奥にあります。

須佐神社(和歌山県)

《釜戸》
👁チェックポイント‼️
当社は1月15日に粥占神事を行います。近所にある宮原神社でも同じ神事があり、その占いの結果は従来の粥占のように米や小豆などの穀物ではなく、みかんや八朔、いちごなどの果物系に限っていました。こちらも占う対象は同じで、紀伊国が山ばかりで平野が少なく、そもそも穀類を育てられない環境にあったことが由来なんだそうです。

須佐神社のその他建物

《神紋》
「夏桃」と呼ばれる枝付きの桃です。素戔嗚尊さまが住んでいたことから紀伊国は根の国に繋がるとされており、根の国では伊邪那岐命さまが追いかけてくる醜女に桃を投げつけて撃退したとされていることで、魔除け=災難除けの由来になっているとか。

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歴史

古事記、日本書紀において、日本列島に樹木の種を播き、紀伊國に坐す大神と称され、大国主命が黄泉の国に坐す素戔嗚尊の元に赴くにあたって訪ねたとされる五十猛神(大屋毘古神)を御祭神とする伊太祁曾神社の親神として和銅6年10月に大和国吉野郡西川峯(現在の奈良県吉野郡吉野山)より勧請されたのが当社の始まりであると伝えられている。
当初、御社は当神社山上に西面して創建されていたが、海上往来の船舶等が、崇敬の至誠を捧げなければ、事故が多く発生したため、元明天皇の勅命により現在の地に遷座したといわれている。
従って古来海の守護神として、また御祭神の勇猛な性質から剣難除(災難除)の神として朝廷をはじめ武家や一般の人々の尊崇が篤く、江戸時代には藩主紀州徳川家の累代崇敬社として崇められ、社殿の造営修復等は藩費にて賄われていた。
延喜式神名帳においては、名神祭、月次祭、新嘗祭の官幣に預り、三代実録清和天皇貞観元年正月の条において従五位下から従五位上に叙せられ、木國神名帳には従一位と記されている。
元明天皇、後醍醐天皇の勅願所であり、建武2年須佐大神宮の震筆勅額及び兵杖4本を賜ったが、天正の兵火で焼失した。
又建武2年5月に楠木正成より保田一円を寄進され、浅野家領国の際には祈願所として田14町3反を献納されている。

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須佐神社の基本情報

住所

和歌山県有田市千田1641

行き方
アクセスを詳しく見る
名称

須佐神社

読み方

すさじんじゃ

通称

千田の宮

参拝にかかる時間

約20分

参拝料

なし

トイレあり
御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号0737-83-0195
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご祭神《主》素戔嗚尊
創建時代

和銅六年(713年)

創始者

不詳

本殿

春日造

文化財

太刀/徳川吉宗奉納(国重要文化財指定)

ご由緒

古事記、日本書紀において、日本列島に樹木の種を播き、紀伊國に坐す大神と称され、大国主命が黄泉の国に坐す素戔嗚尊の元に赴くにあたって訪ねたとされる五十猛神(大屋毘古神)を御祭神とする伊太祁曾神社の親神として和銅6年10月に大和国吉野郡西川峯(現在の奈良県吉野郡吉野山)より勧請されたのが当社の始まりであると伝えられている。
当初、御社は当神社山上に西面して創建されていたが、海上往来の船舶等が、崇敬の至誠を捧げなければ、事故が多く発生したため、元明天皇の勅命により現在の地に遷座したといわれている。
従って古来海の守護神として、また御祭神の勇猛な性質から剣難除(災難除)の神として朝廷をはじめ武家や一般の人々の尊崇が篤く、江戸時代には藩主紀州徳川家の累代崇敬社として崇められ、社殿の造営修復等は藩費にて賄われていた。
延喜式神名帳においては、名神祭、月次祭、新嘗祭の官幣に預り、三代実録清和天皇貞観元年正月の条において従五位下から従五位上に叙せられ、木國神名帳には従一位と記されている。
元明天皇、後醍醐天皇の勅願所であり、建武2年須佐大神宮の震筆勅額及び兵杖4本を賜ったが、天正の兵火で焼失した。
又建武2年5月に楠木正成より保田一円を寄進され、浅野家領国の際には祈願所として田14町3反を献納されている。

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