かむろかるかやどう
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平安末期、筑紫の国の領主であった加藤左衛門繁は、表面上仲睦まじく振舞っていた妻の桂子と千里の髪の毛の影が互いに争い絡み合う蛇に見えたことから、二人の本心を知り、わが身の罪の深さを悔いました。
そして、領地も地位も捨て高野山に上り修行の日々を送りました。
やがて苅萱道心と呼ばれるようになります。繁の息子である石童丸が14歳になった時に出家した父が高野山にいるという噂を耳にし、父に会いたい一心から、母の千里と共に高野を目指します。
しかし、当時の高野山には「女人禁制」の掟があり、仕方なく母を学文路に残し一人で父を尋ね歩きました。その最中に奥之院に架かる無明の橋の上で一人の僧と会いました。
実はこの僧こそ、苅萱道心その人だったのですが、浮世を捨てて仏門にはげむ苅萱道心は「そなたの尋ねる人は、既にこの世の人ではない」とだけ話し、父親と名乗ることなく母のもとへ帰しました。
悲しみに暮れ学文路に戻った石童丸を待っていたのは、母の千里が急病で亡くなったという更に厳しい現実でした。
石童丸は再び高野に戻って苅萱道心の弟子となりましたが、生涯父子の名乗りをすることはありませんでした。
学文路苅萱堂には、千里が肌身離さず信仰していた「人魚のミイラ」が収められており、苅萱堂の秘宝の中で最も謎に包まれたもので、人々の信仰を集めています。
この人魚は619年に近江国の蒲生川で人魚が捕獲されたと日本書紀に記載があり、その時に捕らえられた人魚の兄妹とされています。川の側にある尼僧の許に訪れていた3人の小姓の正体が人魚であり、一体は蒲生川で捕らえられてミイラとされて地元の願成寺に安置され(非公開)、一体は蒲生川を遡った日野で殺され(現在人魚塚がある)、そして最後の一体は通りがかった弘法大師のお供をして高野山に行ったという。この最後の一体が、苅萱堂に安置されているミイラであるとされています。
名称 | 学文路刈萱堂 |
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読み方 | かむろかるかやどう |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
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