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楽しみ方お竹地蔵のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年05月28日(木) 20時51分54秒
参拝:2026年5月吉日
女人堂の正面 弁天岳への登り口にこちらお竹地蔵尊がいらっしゃいます。
写真では分りづらいですが けっこうな大きさです。
5mぐらいあると思います。
少し石段を上がって正面で合掌。
女人高野日本遺産協議会の説明(駒札?)に書かれていました。
お竹地蔵は高野山上の鋳造製仏像として最大級のものであり その名は建立主である「横山たけ」さんの名前に由来しています。
台座の銘文から建立主が江戸の元飯田町の方であり 延享2年(1745)5月15日に建立されたことが解ります。
横山さんが亡夫の供養のため高野山に登山し 不動坂口女人堂で参篭しているとき お地蔵さまが夢に現れたことから 地蔵尊の建立を思い立ったと伝えられています。
私は車で上がってきたので 昔の方が登ってこられた苦労が分かりませんが 相当のものだったと推察されます。
それも夫の供養のために。
これが信仰心なのですね。
すぐ横に弁天岳への登山口があり 1km歩けば山頂に行けるようなのですが 熊出没注意です。
昨年今年と熊の被害が相次ぎ 死亡者もあるので 熊は本当に怖いです。
ネット情報です。
女人堂の向かいに立つ地蔵尊 「お竹地蔵」は 江戸出身の女性 横山竹が亡き夫の供養のために不動坂口女人堂に滞在中に 夢に菩薩地蔵が現れたことから 1745 年に寄贈したものです。
私は気づかなかったのですが 別の案内板があったようです。
【案内板】
「この地蔵尊は安政年間江戸の大地震でなくなられた人々のため 又自分の父母の菩提のために自分の身を仏様に捧げて30年の年期奉公し 身を粉にして蓄えたお金で建てられたお地蔵様です。
建立された人は横山竹さんと申される女性で江戸(もと飯田町)のかたです。
女人堂前のお竹地蔵さんと崇められ 今なお多くの参拝者で線香の煙が絶えることがありません。
お願い事は縁談 神学 子授 水子供養等をお聴き届け下さいます。
総本山 金剛峯寺」
写真では分りづらいですが けっこうな大きさです。
5mぐらいあると思います。
少し石段を上がって正面で合掌。
女人高野日本遺産協議会の説明(駒札?)に書かれていました。
お竹地蔵は高野山上の鋳造製仏像として最大級のものであり その名は建立主である「横山たけ」さんの名前に由来しています。
台座の銘文から建立主が江戸の元飯田町の方であり 延享2年(1745)5月15日に建立されたことが解ります。
横山さんが亡夫の供養のため高野山に登山し 不動坂口女人堂で参篭しているとき お地蔵さまが夢に現れたことから 地蔵尊の建立を思い立ったと伝えられています。
私は車で上がってきたので 昔の方が登ってこられた苦労が分かりませんが 相当のものだったと推察されます。
それも夫の供養のために。
これが信仰心なのですね。
すぐ横に弁天岳への登山口があり 1km歩けば山頂に行けるようなのですが 熊出没注意です。
昨年今年と熊の被害が相次ぎ 死亡者もあるので 熊は本当に怖いです。
ネット情報です。
女人堂の向かいに立つ地蔵尊 「お竹地蔵」は 江戸出身の女性 横山竹が亡き夫の供養のために不動坂口女人堂に滞在中に 夢に菩薩地蔵が現れたことから 1745 年に寄贈したものです。
私は気づかなかったのですが 別の案内板があったようです。
【案内板】
「この地蔵尊は安政年間江戸の大地震でなくなられた人々のため 又自分の父母の菩提のために自分の身を仏様に捧げて30年の年期奉公し 身を粉にして蓄えたお金で建てられたお地蔵様です。
建立された人は横山竹さんと申される女性で江戸(もと飯田町)のかたです。
女人堂前のお竹地蔵さんと崇められ 今なお多くの参拝者で線香の煙が絶えることがありません。
お願い事は縁談 神学 子授 水子供養等をお聴き届け下さいます。
総本山 金剛峯寺」
すてき
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くるくるきよせん3517投稿
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