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こうだいいん

光台院のお参りの記録(1回目)
和歌山県高野山駅

投稿日:2026年06月02日(火) 21時02分56秒
参拝:2026年5月吉日
高野山には宿坊が全部で52あります。
基本的に宿坊は宿泊者のみの拝観ですので 一般の方の拝観はできません。
ガイドブックでは光台院は宿坊24番のお寺です。
不動坂も突き当りまで下ってきました。
そのすぐ横に 寺号の石柱が2つありました。
一つは光台院 もう一つは龍泉院でした。
見ると先に山門ではないですが門がありました。
冠木門というそうです。
こちらにも光台院と龍泉院の寺号標がありました。
門をくぐって奥に進むと また石柱がありました。
参道は長くて100m以上はあったと思います。
山門は檜皮葺なのでしょうか 趣があって素敵です。
馬桶と杉の用意もされていました。
山門が開いていましたので境内に入らせていただきました。
ただ 掲示板に貼り紙があり 「宿泊以外の一般の方の拝観をお断りさせていただいております」とのこと。
昔は予約すれば拝観できたんですね。
宿坊ですから 心づもりはできていました。
山門入ってすぐ右手に宿坊入口があり 正面には本堂がありました。
左手には鐘楼もありました。
境内には砂利が敷かれていて とてもきれいに整備されていました。
熊手か何かで 波模様(?)もつけられていました。
この模様をつけるのって けっこう大変だと思います。
高野御室と書かれていましたが 境内奥に皇族の墓所もありました。
(Googleマップで見ただけ)
御室といえば京都の仁和寺が浮かびます。
こちらは高野山の御室ですね。

ネット情報です。
当院は三条天皇の第四皇子大御室性信親王が康平二年(一〇五九年) 応徳二年(一〇八五年)の二度にわたり高野山に登詣され 当地に小庵を草創し御参籠されたことに始まります。
その後 白河天皇の第四皇子覚法親王が 大治二年(一一二七年)白河 鳥羽両上皇の高野行幸に供奉して御参詣 性信親王の芳躅を慕われて御願堂 坊舎などを御建立になり 白河御所の御念持堂を移されて本堂となされました。
これをもって当院の開基となります。
以来 高野御所と称され 守覚親王(後白河天皇第二皇子) 道助親王(後鳥羽天皇第二皇子) 道深親王(後高倉院第二皇子) 静覚親王等(後花園天皇御猶子)等 江戸時代中期まで二十七代に亘り各親王方が歴代の住持を務められた由緒ある門跡寺院です。
又 後白河法皇 後鳥羽上皇 後嵯峨上皇 御宇多法王の列聖 高野山の行幸啓の折りには当院を宿院とされました。
よって 当地を御所谷とも称されます。
更に御室御所(京都仁和寺)の別院 高野御室と呼ばれ高野山内に在っても高野山の支配下に属せず 超然と尊厳を保持してきた名寺であります。
なお 今日では金剛峯寺の塔頭寺院であり また高野山真言宗の別格本山の寺格をもちます。
このように皇室ゆかりの御寺であり 今日なお昔ながらの高野山の律院の面影をとどめている唯一の名刹といえます。
光台院(和歌山県)
寺号の石柱
光台院(和歌山県)
寺号標
光台院(和歌山県)
不動坂に面した場所に冠木門 光台院と龍泉院両方の名がある
光台院(和歌山県)
参道手前に寺号の石柱
光台院(和歌山県)
参道はけっこう長いです
光台院(和歌山県)
由緒書
光台院(和歌山県)
茅葺の山門
光台院(和歌山県)
一般の方の拝観はしていません
光台院(和歌山県)
山門は開いていました
光台院(和歌山県)
高野御室
光台院(和歌山県)
寺号標
光台院(和歌山県)
馬桶と杉の用意がされていました
光台院(和歌山県)
宿坊入口
光台院(和歌山県)
本堂には近づけませんでした
光台院(和歌山県)
苔のついた木 何じゃろ
光台院(和歌山県)
宿泊棟?
光台院(和歌山県)
何か大切な木のようです
光台院(和歌山県)
鐘楼

すてき

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