くまがいじ|高野山真言宗
熊谷寺のお参りの記録一覧
今回の高野山参拝の目的は3つあって、甲子限定大黒天御朱印を頂くこと、近畿36不動尊巡り、あともう一つは高野山七福神めぐりです。
すべて参拝すれば、七つの災難が除かれ、七つの幸福を授かるといわれています😆
でも、祀られているのは全部で4ヶ所の寺院のようで、たぶん歩いて巡っても1〜2時くらいで十分まわれると思います。
ということで、まずは熊谷寺へ。
名前の由来にもなっている熊谷直実や蓮生法師と縁深い寺院だそうです。
パッと見、漢字が似たような女優さんと見間違えてしまうのは僕だけでしょうか・・・(笑)😜
御朱印は専用の色紙で頂いていきます。
お庭が凄く綺麗にされてました☺️
熊谷寺 布袋尊
熊谷寺持宝院 恵比寿
専用色紙にいただきました。
七福神巡り❄️☀️ 3カ寺目
熊谷寺(くまがいじ)(恵比寿 布袋尊)
宝善院さんを後にし、熊谷寺さんへ。徒歩で移動
先にお参りし、御朱印をいただきに。ブザーを鳴らすと、お寺の方が出てきてくれました。
"敦盛"の話は、平家物語の中で、最も美しく最も悲しい話として語り継がれています。当時、平敦盛は17才。源氏の奇襲によって、平家は船で散り散りになって逃げた中、敦盛は直実に捕らえられます。
敦盛の兜を剥ぎ顔を見た時、直実はハッとします。自分の息子と同じ年頃の若武者だったからです。そこで首をはねるか逃がすかの葛藤が生まれますが、結果的には首をはねます。
後にこの事を悔やんだ直実は、法然上人のもとを訪れ、出家します。そして残りの人生をかけて弔ったそうです。
1190年(建久元年)敦盛7回忌に当たるつき、追福の法要を営もうと思いたち、法然上人の指示により高野山に登り、父祖の菩提寺であった当寺(当時は知識院といった)に寄寓し、敦盛の位牌石塔を建立したとのことです。
奥の院をお参りした後、こちらに参拝しました。奥の院の表参道入口付近にある宿坊です。
庭園は少し小さいですがきれいでした。
円光堂
熊谷蓮生
御朱印は2つです
どなたがモデルでしょうか?
高野山なのに「南無阿弥陀仏??」「円光大師ってことは法然さん??」もしかして「浄土宗??」だとすると「熊谷はもしかして・・・」
と疑問と期待に吸い寄せられるように参拝させていただいております。
さっそくお寺の方に「もしかして熊谷寺さんのお名前って熊谷次郎直実からですか?」とお尋ねすると、実際にこちらに法然さんや熊谷直実が来られた歴史がある、とのこと。(熊谷寺さんの宗派は真言宗です。)
戦国大名の名前と真言宗系のお寺さんばかりだったので、源平合戦や鎌倉時代に所縁のあるお名前を拝見できて新鮮でした。
HPを拝見すると熊谷次郎が須磨の一の谷で泣く泣くで手にかけた平敦盛や源平合戦の死者の供養も行っておられるとのこと。
ほんとうに高野山の懐はすさまじく深いです。この重層的に大きくうねる歴史が集うこの地は世界遺産です!
奥の院一の橋の少し手前に有ります。
13仏の10番「阿弥陀如来」の御朱印を頂けます。
駐車場に入ると「駐車場利用の際は寺務所まで」という貼り紙が至る所に。
駐車した旨を言いに行くと、外国人のお坊さんともう一人女性の方がすごく愛想良く迎えてくれ、「お泊りですか?」と聴かれたので「いえ、御朱印を頂けますか?」と言うと表情が一変!「御朱印はアッチに回って下さい!」と怒鳴られ、縁側に誘導されて私と妻の御朱印帳をひったくるように持って行きました。
御朱印は面倒なのかも知れませんが、宿坊利用と明らかな態度の違いは如何なものでしょうか?
御朱印は阿弥陀如来を書き入れて頂きました
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