ほうきいん|高野山真言宗
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観賢(かんげん)(854〜925)。
真雅(しんが)(空海の十大弟子であり弟)について出家、受戒された方です。
空海御入定後(86年後)、高野山が衰えている惨状を目の当たりにし、真言宗を再興するには"大師"号(諡号)を頂くしかないと考えます。"大師"号(諡号)は、人を導く偉大な指導者に天皇から贈られる名前。最澄は既に清和天皇に頂いていました。
(866年 伝教大師最澄)
観賢は、醍醐天皇に三度奏請します。その際、空海が唐で筆録した「三十帖策子」を提出。それを目にした醍醐天皇は、空海の苦労を偲び、もたらした恩恵の大きさに改めて驚いたといいます。
921年 空海 醍醐天皇から諡号を贈られます。
弘法大師空海
新西国三十三箇所 第6番札所
宗派:高野山真言宗
御本尊:十一面観世音菩薩
創建:921年(延喜21年)
開基:観賢

壇上伽藍→金剛峯寺→霊宝館と廻って駐車場へ戻る途中に在る宝亀院に参拝しました。
日も傾き掛けてきましたし、流石に早朝4時から活動(自宅出発)を始めて2万歩も歩いたためヘロヘロ気味。今回は奥之院への参拝はやめにしました。(奥之院もセットで参拝しないと駄目だろうと言われそうですが。)
宝亀院は高野山真言宗 別格本山で、本尊は十一面観音。100以上ある子院の1つ。新西国三十三所観音霊場 第6番札所です。
空海没後の921年10月のある日の夜に醍醐天皇の枕元に空海が立った。天皇は直ぐに勅使を高野山へ向かわせた所、11月のある日の明け方に御廟に空海が現れたが、髪はボサボサで衣はボロボロであったため、勅使に同行していた観賢僧正が空海の衣を替えた。この事が元となり天皇の勅命により同年観賢僧正がこの寺院を開いた。また、空海の誕生が宝亀5年であることから宝亀院と名付けたと伝わります。
それ以来空海の命日である3月21日に御廟に新しい衣を御供えするようになったとの事です。
毎年3月17日に弘法大師御衣加持という行事があります。観賢僧正が掘った井戸から汲んだ水で衣を染める行事で、この宝亀院にある井戸にて行います。よって御衣寺と呼ばれています。
折角なので私もその井戸の水を飲ませて頂きました。
井戸のある建屋の奥に本堂があります。お堂の扉は閉められていましたので堂内は伺い知れませんが、本尊の十一面観音(重文指定)の開帳予定は今のところ無いとの事でした。


#宝亀院
ご本尊という表現は見ないが、十一面観音を祀る。
写真の御朱印は、十一面観音の種子キャが捺され、墨書きは御衣観音とある。が、十一面観音を御衣観音と呼ぶ、などの記述は見つからない。高野山宿坊協会HPによれば、ここ宝亀院は年に一度、弘法大師の御衣替えをする儀式を司っていると。
#十一面観世音菩薩
真言「オン マカキャロニキャ ソワカ」。生きている間、死ぬ瞬間、死後と、全ての局面に渡って苦痛を伴う状況に遭遇しなくて済む、という隙の無いご利益が説かれている。
もう1つ、「オン ロケイジンバラ キリク」という真言が知られる。大法輪閣編集部編で出ている本によれば、原文には「オン ロケイジンバラ・アランジャ キリク」とあるが、アランジャは一般に省略することが多いと。
このノーカット版、金剛界五仏のうち観自在王如来の真言と同じだ。ロケイジンバラ・アランジャ自体、観自在王如来の梵名、ローケーシュヴァララージャの訛ったもの。そして観自在王如来は、他でもないアミダ如来の別名だ。
別段、観音さまがボスの真言を受け継いだって、少しもおかしいことはない。千手観音と如意輪観音の種子は、アミダさまのと同じキリークだ。ただ、どういう考えに基づいて同じ真言を使っているのかは、少し興味がある。
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