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楽しみ方正智院のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年06月06日(土) 21時20分33秒
参拝:2026年5月吉日
壇上伽藍の北側エリアを散策しました。
こちらにも宿坊がいくつもありました。
基本的に宿坊は宿泊者のみの拝観ですので 一般の方の拝観はできません。
高野山には宿坊が全部で52あります。
ガイドブックでは正智院は宿坊11番のお寺です。
壇上伽藍北側の道はこちら正智院前で終わり。
寳壽院に突き当たります。
ぐるっと左に折れてメインストリートにつながります。
右に曲がると高野山高校に入っていきます。
GWではありますが 高校では部活なのか大きな声が聞こえてきます。
野球?サッカー?若者よがんばれ!
橋の手前に寺号の石柱が2本ありました。
右手にはこちらの寺号で「別格本山正智院」とありました。
左手には「準別格本山大樂院」とありました。
そういえば昨日 壇上伽藍の南側で「大樂院」の石柱を見ました。
でも廃墟というか更地になっていました。
ということでこちらに合併されたと考えれば良いのでしょうね。
橋を渡って山門をくぐります。
こちらの山門も両サイドは格子になっていました。
境内中央には築山のお庭がありました。
築山に松とモミジとサルスベリの木が植えられ たくさんの石が配置されています。
石灯籠もありました。
こういう小さいお庭 好きです。
お世話は大変だと思いますが 盆栽の心というか 小さいところにぎゅぎゅっと詰め込んでいて楽しいです。
私の目が節穴だったのかもしれませんが いわゆる本堂を見つけられませんでした。
本堂かもと思う建物の前で合掌しておきました。
宿坊入口では こうやくんがお出迎え。
人を探しましたが こちらでもお話を伺うことはできませんでした。
ネット情報です。
正智院は 平安時代の永久年間(1113-1117)に 教覚正智坊(きょうがくしょうちぼう)に開基され 鎌倉時代初期の学僧で高野八傑の一人 道範(どうはん)によって再興された。
建長元年(1249年)6月 讃岐配流から赦された道範の帰山を喜び 高野明神がたびたび境内に姿を現したという。
その後 筑前の黒田家 薩摩の島津家の深い信仰を得て 江戸時代には学侶名室二十ケ寺の内に数えられた。
宝性院門流の学問寺院として多くの僧侶が集まり 正月には論議 春と秋には法談などが行われた。
本尊は鎌倉時代前期(12世紀末〜13世紀初頭)の慶派の仏師作と伝わる阿弥陀如来三尊である。
国宝の文館詞林(中国の唐で編纂された詩文集)や重要文化財に指定されている不動明王など数多くの文化財を有している。
正智院庭園は 昭和27年(1952年)に重森三玲によって作庭された枯山水庭園(830㎡)である。
裏山は岩山で高野山内八葉の神應岳と呼ばれる。
神應岳を背景として州浜模様の苔に大小六十余りの石組みが配されている。
正面の大きな岩は 明神岩(別名「影向(ようごう)岩」といい 道範大徳が高野明神と問答をしたという伝説から名付けられた。
庭園を拝見するために宿泊される方もいらっしゃるようです。
こちらにも宿坊がいくつもありました。
基本的に宿坊は宿泊者のみの拝観ですので 一般の方の拝観はできません。
高野山には宿坊が全部で52あります。
ガイドブックでは正智院は宿坊11番のお寺です。
壇上伽藍北側の道はこちら正智院前で終わり。
寳壽院に突き当たります。
ぐるっと左に折れてメインストリートにつながります。
右に曲がると高野山高校に入っていきます。
GWではありますが 高校では部活なのか大きな声が聞こえてきます。
野球?サッカー?若者よがんばれ!
橋の手前に寺号の石柱が2本ありました。
右手にはこちらの寺号で「別格本山正智院」とありました。
左手には「準別格本山大樂院」とありました。
そういえば昨日 壇上伽藍の南側で「大樂院」の石柱を見ました。
でも廃墟というか更地になっていました。
ということでこちらに合併されたと考えれば良いのでしょうね。
橋を渡って山門をくぐります。
こちらの山門も両サイドは格子になっていました。
境内中央には築山のお庭がありました。
築山に松とモミジとサルスベリの木が植えられ たくさんの石が配置されています。
石灯籠もありました。
こういう小さいお庭 好きです。
お世話は大変だと思いますが 盆栽の心というか 小さいところにぎゅぎゅっと詰め込んでいて楽しいです。
私の目が節穴だったのかもしれませんが いわゆる本堂を見つけられませんでした。
本堂かもと思う建物の前で合掌しておきました。
宿坊入口では こうやくんがお出迎え。
人を探しましたが こちらでもお話を伺うことはできませんでした。
ネット情報です。
正智院は 平安時代の永久年間(1113-1117)に 教覚正智坊(きょうがくしょうちぼう)に開基され 鎌倉時代初期の学僧で高野八傑の一人 道範(どうはん)によって再興された。
建長元年(1249年)6月 讃岐配流から赦された道範の帰山を喜び 高野明神がたびたび境内に姿を現したという。
その後 筑前の黒田家 薩摩の島津家の深い信仰を得て 江戸時代には学侶名室二十ケ寺の内に数えられた。
宝性院門流の学問寺院として多くの僧侶が集まり 正月には論議 春と秋には法談などが行われた。
本尊は鎌倉時代前期(12世紀末〜13世紀初頭)の慶派の仏師作と伝わる阿弥陀如来三尊である。
国宝の文館詞林(中国の唐で編纂された詩文集)や重要文化財に指定されている不動明王など数多くの文化財を有している。
正智院庭園は 昭和27年(1952年)に重森三玲によって作庭された枯山水庭園(830㎡)である。
裏山は岩山で高野山内八葉の神應岳と呼ばれる。
神應岳を背景として州浜模様の苔に大小六十余りの石組みが配されている。
正面の大きな岩は 明神岩(別名「影向(ようごう)岩」といい 道範大徳が高野明神と問答をしたという伝説から名付けられた。
庭園を拝見するために宿泊される方もいらっしゃるようです。

道路沿いに川がつづいていました

橋を渡って山門です

寺号の石柱

準別格本山大樂院 これは合併された寺院でしょうね

寺紋(?)つきの提灯がさげられた 檜皮葺き(?)の山門です

馬桶と杉が用意されていました

こちらも山門の両サイドは格子でした

境内中央の庭

本堂(?) とりあえずこの前で合掌しました

宿坊入口

築山に松とモミジとたくさんの石が配置されています

サルスベリもあった
すてき
投稿者のプロフィール
くるくるきよせん3542投稿
「すてき」 をくださるみなさま、ありがとうございます。 拙い投稿ですのに、本当に感謝しかありません。 2022年の正月に、ふと思い立って古都の寺社巡りを始めました。 由緒書きを読んだり、お話を伺...もっと読む
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