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総持寺ではいただけません
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総持寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年01月18日(水)
参拝:2023年1月吉日
🌼周りは住宅街で決して観光客が来るような場所ではありませんが、大きな敷地に建てられた総持寺(そうじじ)⛩️は、とても歴史がある建物です‼️
🌸当寺は、和歌山県和歌山市梶取にある浄土宗西山派の寺院。
☘️紀ノ川北岸の梶取集落内に位置する総持寺は、赤松則村の孫明秀により宝徳2年(1450)に開かれた浄土宗西山派の寺院です。16世紀中頃、御奈良天皇・正親町天皇の勅願寺となり、天正13年(1585)年の羽柴(豊臣)秀吉の兵火により焼かれましたが、直ちに復興されました。その後、寛文年間(1661~1672)に禅林寺・光明寺の末寺となりますが、紀伊・和泉八十八ヶ寺の末寺を有し、同派檀林(学問寺)七ヶ寺の1つに数えられる名刹です。本堂・総門、釈迦堂・玄関・開山堂・鐘楼などいずれも江戸時代末までに建立されたもので、学問寺としての機能をもつ寺格に相応しく、近世寺院建築を理解する上で重要です。 🍁本堂は大規模な建物で、方七間、縁通りまで入れると桁行九間、梁間八間相当の規模となります。内部は広大な空間の中に6本の円柱を二列に立て、これらを繋いで縦横に虹梁が架けられ、虹梁上に組物や蟇股を整然と配置しています。来迎柱頂部に安政元年(1854)の墨書があるので、造営もこの頃とみられますが、天井板に明治11年(1878)の墨書もあるので、完成はこの頃まで下るとみられます。
場所⛩️ : 和歌山県和歌山市梶取86 総持寺
🌸当寺は、和歌山県和歌山市梶取にある浄土宗西山派の寺院。
☘️紀ノ川北岸の梶取集落内に位置する総持寺は、赤松則村の孫明秀により宝徳2年(1450)に開かれた浄土宗西山派の寺院です。16世紀中頃、御奈良天皇・正親町天皇の勅願寺となり、天正13年(1585)年の羽柴(豊臣)秀吉の兵火により焼かれましたが、直ちに復興されました。その後、寛文年間(1661~1672)に禅林寺・光明寺の末寺となりますが、紀伊・和泉八十八ヶ寺の末寺を有し、同派檀林(学問寺)七ヶ寺の1つに数えられる名刹です。本堂・総門、釈迦堂・玄関・開山堂・鐘楼などいずれも江戸時代末までに建立されたもので、学問寺としての機能をもつ寺格に相応しく、近世寺院建築を理解する上で重要です。 🍁本堂は大規模な建物で、方七間、縁通りまで入れると桁行九間、梁間八間相当の規模となります。内部は広大な空間の中に6本の円柱を二列に立て、これらを繋いで縦横に虹梁が架けられ、虹梁上に組物や蟇股を整然と配置しています。来迎柱頂部に安政元年(1854)の墨書があるので、造営もこの頃とみられますが、天井板に明治11年(1878)の墨書もあるので、完成はこの頃まで下るとみられます。
場所⛩️ : 和歌山県和歌山市梶取86 総持寺
すてき
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