ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう
日前神宮・國懸神宮の御由緒・歴史
ご祭神 | 《主》日前大神,《相》思兼命,石凝姥命
《主》國懸大神,《相》玉祖命,明立天御影命,鈿女命 | |
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ご神体 | 日像鏡(日前神宮),日矛鏡(国懸神宮) | |
創建時代 | 神武天皇二年 | |
創始者 | 天道根命 | |
ご由緒 | 日本で最も歴史のある神社の一つで、神話と関わりが深い。『日本書紀』に、天照大神が岩戸隠れした際、石凝姥命が八咫鏡に先立って鋳造した鏡が日前宮に祀られているとの記述がある。社伝によれば、神武東征の後の神武天皇2年、紀国造家(紀氏)の祖神である天道根命(あめのみちねのみこと)が、八咫鏡に先立って鋳造された鏡である日像鏡・日矛鏡を賜り、日像鏡を日前宮の、日矛鏡を國懸宮の神体としたとしている。 当初は名草郡毛見郷浜宮に祀られ、垂仁天皇16年に現在地に遷座したと伝えられている。なお、伊太祁曽神社の社伝では、元々この地に伊太祁曽神社があったが、紀伊国における国譲りの結果、日前神・国懸神が土地を手に入れ、伊太祁曽神社は現在地に遷座したとしている。また、日前・國懸両神宮の遷宮前の旧社地には浜宮神社が鎮座している。 朱鳥元年(686年)には國懸神に奉幣したとの記事がある。『延喜式神名帳』では名神大社に列し、紀伊国一宮とされた。中世には、熊野詣での途中で参拝されたとの記録がある。 天正13年(1585年)に豊臣秀吉に攻め込まれ、社領が没収された。その際社殿が取り壊され境内が荒廃したが、江戸時代に紀州藩初代藩主徳川頼宣により社殿が再興された。しかし現在は最盛期の5分の1の広さになっており、社殿や施設などは往時を忍ぶに及ばない。さらに大正8年(1919年)には国費による改善工事によって境内の建物はすべて一新されており、旧観は大きく変化している。大正15年(1926年)3月の工事完成をもって現在の左右対称の姿となった。
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歴史 | 歴史[編集] 日本で最も歴史のある神社の一つで、神話と関わりが深い。『日本書紀』に、天照大神が岩戸隠れした際、石凝姥命が八咫鏡に先立って鋳造した鏡が日前宮に祀られているとの記述がある。社伝によれば、神武東征の後の神武天皇2年、紀国造家(紀氏)の祖神である天道根命(あめのみちねのみこと)が、八咫鏡に先立って鋳造された鏡である日像鏡・日矛鏡を賜り、日像鏡を日前宮の、日矛鏡を國懸宮の神体としたとしている。 当初は名草郡毛見郷浜宮に祀られ、垂仁天皇16年に現在地に遷座したと伝えられている。なお、伊太祁󠄀曽神社の社伝では、元々この地に伊太祁󠄀曽神社があったが、紀伊国における国譲りの結果、日前神・国...Wikipediaで続きを読む | |
引用元情報 | 「日前神宮・國懸神宮」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%97%A5%E5%89%8D%E7%A5%9E%E5%AE%AE%E3%83%BB%E5%9C%8B%E6%87%B8%E7%A5%9E%E5%AE%AE&oldid=102212414 |
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