ずいりゅうじ
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瑞龍寺ではいただけません
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瑞龍寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年02月07日(水)
参拝:2024年2月吉日
【高岡山(こうこうざん)瑞龍寺(ずいりゅうじ)】
本尊:釈迦如来
宗派:曹洞宗
開基:前田利常
~百寺巡礼:五木寛之氏が選んだ百の名刹 第15番~
瑞龍寺は、越中 高岡市にある。高岡市は、約1300年前、国府や国分寺が置かれ、当時の「越中国(えっちゅうのくに)」の政治と文化の中心だった。746(天平18)年、「万葉集」の代表的な歌人であり編纂者として知られる大伴家持(おおとものやかもち)が「越中守(えっちゅうのかみ)」に任命され、高岡市伏木(ふしき)にあった国府に赴任しており、家持は多くの歌を残している。高岡は、大和や筑紫とならぶ万葉ゆかりの地であり、非常に古くから開けた地域といえる。
現在の高岡の街の礎を築いたのは、第2代加賀藩主 前田利長(まえだとしなが)とされる。利長は1598(慶長3)年に父の利家(としいえ)から家督を継いで金沢城に入る。しかし、7年後の1605(慶長10)年には弟の利常(としつね)に家督を譲り、利長は富山城に隠退してしまう。利長には実子がないことから、これは、徳川政権下で前田家の生き残りを図るためだったようだ。利長は利家の正妻の子だが、弟の利常は側室が生んだ子だった。そのため、120万石の藩主の座を譲られて、利常は異母兄に対して恩義を感じていたらしい。その後、1609(慶長14)年に火事で富山城が焼けたため、利長は高岡に移る。利長は、この街を「高岡」と名付け、高岡城を築き、城下町を整備する。1614(慶長19)年、利長は、病気で亡くなるが、第3代藩主 利常のバックアップを受け、高岡は商業の街として飛躍的に発展していく。一方、利常は異母兄 利長の菩提を弔うために、加賀藩の総力をあげて瑞龍寺の造営に取り組んだ。利常は瑞龍寺の完成を見届けずに没したため、瑞龍寺の造営はその孫の綱紀(つなのり)に受け継がれ、完成したのは、利長の50回忌の1663(寛文3)年だったという。
「瑞龍寺」の寺号は、利長の法名の「瑞龍院殿聖山英賢大居士(ずいりゅういんでんせいざんえいけんだいこじ)」からつけられている。
~『百寺巡礼 第二巻 北陸』五木寛之(講談社、2003)~
能登半島地震復興支援の任務(1週間)を終え参拝、1日も早い復興を祈念しました。また、当日(2月3日)は、節分会。お豆を頂き一緒に行った仲間の健康と開運を祈願しました。
とにかく、重厚な伽藍に圧倒されます。
本尊:釈迦如来
宗派:曹洞宗
開基:前田利常
~百寺巡礼:五木寛之氏が選んだ百の名刹 第15番~
瑞龍寺は、越中 高岡市にある。高岡市は、約1300年前、国府や国分寺が置かれ、当時の「越中国(えっちゅうのくに)」の政治と文化の中心だった。746(天平18)年、「万葉集」の代表的な歌人であり編纂者として知られる大伴家持(おおとものやかもち)が「越中守(えっちゅうのかみ)」に任命され、高岡市伏木(ふしき)にあった国府に赴任しており、家持は多くの歌を残している。高岡は、大和や筑紫とならぶ万葉ゆかりの地であり、非常に古くから開けた地域といえる。
現在の高岡の街の礎を築いたのは、第2代加賀藩主 前田利長(まえだとしなが)とされる。利長は1598(慶長3)年に父の利家(としいえ)から家督を継いで金沢城に入る。しかし、7年後の1605(慶長10)年には弟の利常(としつね)に家督を譲り、利長は富山城に隠退してしまう。利長には実子がないことから、これは、徳川政権下で前田家の生き残りを図るためだったようだ。利長は利家の正妻の子だが、弟の利常は側室が生んだ子だった。そのため、120万石の藩主の座を譲られて、利常は異母兄に対して恩義を感じていたらしい。その後、1609(慶長14)年に火事で富山城が焼けたため、利長は高岡に移る。利長は、この街を「高岡」と名付け、高岡城を築き、城下町を整備する。1614(慶長19)年、利長は、病気で亡くなるが、第3代藩主 利常のバックアップを受け、高岡は商業の街として飛躍的に発展していく。一方、利常は異母兄 利長の菩提を弔うために、加賀藩の総力をあげて瑞龍寺の造営に取り組んだ。利常は瑞龍寺の完成を見届けずに没したため、瑞龍寺の造営はその孫の綱紀(つなのり)に受け継がれ、完成したのは、利長の50回忌の1663(寛文3)年だったという。
「瑞龍寺」の寺号は、利長の法名の「瑞龍院殿聖山英賢大居士(ずいりゅういんでんせいざんえいけんだいこじ)」からつけられている。
~『百寺巡礼 第二巻 北陸』五木寛之(講談社、2003)~
能登半島地震復興支援の任務(1週間)を終え参拝、1日も早い復興を祈念しました。また、当日(2月3日)は、節分会。お豆を頂き一緒に行った仲間の健康と開運を祈願しました。
とにかく、重厚な伽藍に圧倒されます。
【山門】
【寺号標】
【伽藍配置図】
【総門】
重要文化財。
~総門をくぐると、山門、仏殿、法堂の三つが一直線上に建っている。その左右には、ほぼ対称にその他の堂宇を配してあり、堂宇と堂宇のあいだは回廊で結ばれている。この伽藍配置は、禅宗寺院に独特のものだ。~
重要文化財。
~総門をくぐると、山門、仏殿、法堂の三つが一直線上に建っている。その左右には、ほぼ対称にその他の堂宇を配してあり、堂宇と堂宇のあいだは回廊で結ばれている。この伽藍配置は、禅宗寺院に独特のものだ。~
【山門】
国宝。
国宝。
【山門】
屋根は杮(こけら)葺き。
屋根は杮(こけら)葺き。
【山門】
瑞龍寺は曹洞宗寺院だが、山号「髙岡山」は黄檗隠元が揮毫している。
瑞龍寺は曹洞宗寺院だが、山号「髙岡山」は黄檗隠元が揮毫している。
【山門】
【仁王 阿形像】
【仁王 吽形像】
【仏殿】
国宝。
国宝。
【禅堂・仏殿・大庫裏】
【仏殿】
屋根は鉛瓦(なまりがわら)葺き。鉛瓦は、瓦の形をした木の上に、厚さ数ミリの鉛の板を貼り付けてつくられたもの。屋根全体に鉛瓦が使われている例は、金沢城の石川門と瑞龍寺の仏殿だけという。太陽の光を受けるとギラリと白く輝く。
屋根は鉛瓦(なまりがわら)葺き。鉛瓦は、瓦の形をした木の上に、厚さ数ミリの鉛の板を貼り付けてつくられたもの。屋根全体に鉛瓦が使われている例は、金沢城の石川門と瑞龍寺の仏殿だけという。太陽の光を受けるとギラリと白く輝く。
【仏殿】
【仏殿内陣】
【仏殿内陣】
本尊の釈迦如来 脇侍は文殊菩薩・普賢菩薩が須弥壇上に安置されている。
本尊の釈迦如来 脇侍は文殊菩薩・普賢菩薩が須弥壇上に安置されている。
【仏殿内陣】
【仏殿内陣】
大権修理菩薩。海上の安全を守る中国の神様。
大権修理菩薩。海上の安全を守る中国の神様。
【仏殿内陣】
博大士。
博大士。
【仏殿内陣】
元老和尚 大禅師。
元老和尚 大禅師。
【仏殿内陣】
達磨大和尚。
達磨大和尚。
【法堂(はつとう)】
国宝。
国宝。
【法堂】
屋根は銅板葺き。
屋根は銅板葺き。
【法堂】
【法堂】
扁額は寺号の「瑞龍寺」。2代藩主前田利長の位牌を建物中央奥に安置している。
扁額は寺号の「瑞龍寺」。2代藩主前田利長の位牌を建物中央奥に安置している。
【法堂内陣】
【法堂内陣】
【法堂内陣】
法堂天井画。狩野安信(かのうやすのぶ)筆の「百花図」として知られている。つつましい野の花、野菜の花、雑草の花などで飾られている。
~華厳経のなかには「雑華(ぞうげ)」という言葉があるそうだ。「華厳(けごん)」とは「花に飾られた」という意味である。そこで説かれている教えは、「われわれ生きとし生けるものの煩悩、そのものが仏の現れである」ということだという。その「花に飾られた」という場合の「花」とは、美しい花だけではなく、「雑華」といわれるつつましい花をも含んでいる。つまり、すべての生きとし生けるもの、そのあるがままを肯定するのが仏であると説くのが、華厳の教えなのだろう。禅宗のなかにも、この華厳経の哲学が組みこまれているらしい。~
法堂天井画。狩野安信(かのうやすのぶ)筆の「百花図」として知られている。つつましい野の花、野菜の花、雑草の花などで飾られている。
~華厳経のなかには「雑華(ぞうげ)」という言葉があるそうだ。「華厳(けごん)」とは「花に飾られた」という意味である。そこで説かれている教えは、「われわれ生きとし生けるものの煩悩、そのものが仏の現れである」ということだという。その「花に飾られた」という場合の「花」とは、美しい花だけではなく、「雑華」といわれるつつましい花をも含んでいる。つまり、すべての生きとし生けるもの、そのあるがままを肯定するのが仏であると説くのが、華厳の教えなのだろう。禅宗のなかにも、この華厳経の哲学が組みこまれているらしい。~
【法堂内陣】
法堂内では、節分会が行われていました。ここには、かつて同寺にあった七間浄頭(しちけんじんずう)(東司(とうす))に祭られていた烏瑟沙摩明王(うすさまみょうおう)立像が安置されている。
法堂内では、節分会が行われていました。ここには、かつて同寺にあった七間浄頭(しちけんじんずう)(東司(とうす))に祭られていた烏瑟沙摩明王(うすさまみょうおう)立像が安置されている。
【法堂内陣】
【大茶堂(おおさどう)】
【禅堂】
重要文化財。
重要文化財。
【回廊】
重要文化財。
重要文化財。
【烏瑟沙摩明王(うすさまみょうおう)】
東司の守護神(トイレの神様)。
東司の守護神(トイレの神様)。
【烏瑟沙摩明王】
【回廊】
時を報ずるための魚板、 開梛(かいぱん)が吊るされている。
時を報ずるための魚板、 開梛(かいぱん)が吊るされている。
【禅堂内陣】
「選佛場」の額。修行僧の坐禅道場。
「選佛場」の額。修行僧の坐禅道場。
【禅堂内陣】
重要文化財の指定を受けている禅堂は全国で3棟。当瑞龍寺の禅堂のほか、京都東福寺の禅堂と京都宇治の萬福寺の禅堂。
重要文化財の指定を受けている禅堂は全国で3棟。当瑞龍寺の禅堂のほか、京都東福寺の禅堂と京都宇治の萬福寺の禅堂。
【石廟(せきびょう)】
右から前田利長、前田利家、織田信長、同室正覚院、織田信忠を祀る5つの石廟が並ぶ。
右から前田利長、前田利家、織田信長、同室正覚院、織田信忠を祀る5つの石廟が並ぶ。
【石廟】
前田利長公の石廟。
前田利長公の石廟。
【石廟】
前田利長公の宝篋印塔(ほうきょういんとう)。「瑞龍院殿聖山英賢大居士(ずいりゅういんでんせいざんえいけんだいこじ)」。
前田利長公の宝篋印塔(ほうきょういんとう)。「瑞龍院殿聖山英賢大居士(ずいりゅういんでんせいざんえいけんだいこじ)」。
【石廟から見る法堂】
【大庫裏】
重要文化財。
重要文化財。
【回廊】
【延命地蔵菩薩】
【韋駄天(いだてん)】
【韋駄天】
【大庫裏】
【跋陀婆羅菩薩(ばったばらぼさつ)】
浴室の守護神。
浴室の守護神。
【跋陀婆羅菩薩】
【総門の扉】
【御朱印】
本尊の釈迦如来。
本尊の釈迦如来。
すてき
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