えっちゅういちのみや たかせじんじゃ
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越中一宮 髙瀬神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年01月10日(火)
参拝:2021年11月吉日
【越中國 式内社巡り】(過去の参拝記録)
高瀬神社(たかせ~)は、富山県南栃市高瀬にある神社。式内社で、越中國一之宮(※)。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は、大己貴命。
創建は不詳。社伝によると、大己貴命が北陸平定を終えて出雲へ戻る際、国魂神として自身の御魂を当地に鎮め置いたことに始まるとしている。国史の初見は『続日本紀』の780年条に神階奉授の記載があり、以降『日本後紀』、『続日本後紀』、『日本文徳天皇実録』、『日本三大実録』に神階昇叙の記載がある。いずれも射水神社(二上神)と同時・神階同階で、ともに越中国最高位の神社として朝野の崇敬を受けていた。
平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「越中國 礪波郡 高瀬神社 小」に比定されている。平安時代末期に一時国府が礪波郡に移転したことから、それ以降越中國一之宮とされた。中世以降、神仏習合し、三百坊の勧学院を擁していた。また一向宗徒の支配下に入った時期があり、当時一部の神職が雄山神社に転じている。戦国時代には戦乱で荒廃したが、江戸時代になると、加賀藩主・前田家の崇敬を受け、手厚く保護された。明治に入り、近代社格制度のもと県社に列格し、のちに国幣小社へと昇格した。
当社は、JR城端線・福野駅の南東3kmの田園地帯の中の平地にある。田んぼの中の森全体が当社境内になっていて、大社らしく広々としている。境内の造りは割とシンプルで、大きな社殿とその周りにいくつかの境内社、その南側の参道脇に社務所や宝物殿などがあるぐらい。一宮の中では、ややコンパクトな方なのかと思われる。
今回は、越中國の式内社、越中國一之宮、旧国幣小社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は平日の午後やや遅めの時間で、我々以外にも割と多くの参拝者が訪れていた。
(※)越中国では、射水神社(射水郡)、気多神社(射水郡)、高瀬神社(礪波郡)、雄山神社(新川郡)の4社(いずれも式内社)が「越中國一之宮」を称している。なお、かつて国府や国分寺が存在した越中国の中心地は、現高岡市伏木(気多神社の所在地)とされている。
境内南端入口の<一の鳥居>と<社号標>。
<一の鳥居>とその後ろの境内。
参道進んで右側にある<手水舎>。手水が2カ所ある。
岩の上から水が出る方の<手水>。1970年に伊勢の神宮から御下付され、外宮から移築されたものとのこと。スゴイ。(;゚Д゚)
参道左手にある<社務所>。御朱印はこちら。
参道途中から社殿方向を望む。
参道左側の<狛犬>。
参道右側の<狛犬>。
参道進んで<二の鳥居>。
二の鳥居近くにある<神馬>。
<拝殿>全景。重厚感のある堂々とした風貌。
<拝殿>正面。彫刻も繊細で美しい。
拝殿内の<撫で兎>。
社殿近くの<相撲場>。
拝殿後ろの<本殿>。
<社殿>全景。
二の鳥居の左手にある<功霊殿>の鳥居。
拝殿の左手にある<功霊殿>の拝殿。
社殿左手の建物。たぶん<功霊殿>の本殿。
二の鳥居の手前、拝殿に向かって右手にある<稲荷神社>。
一の鳥居前の景色。ひなびた農地が広がる。小川に神橋が架かっている。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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