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とっとりとうしょうぐう(おおちだにじんじゃ)

鳥取東照宮(旧樗谿神社)
鳥取県 鳥取駅

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神祇伯
神祇伯
2025年06月18日(水) 20時16分05秒
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かつての因幡国に建てられた鳥取県の東照宮です。鳥取藩の初代藩主である池田光仲公は岡山藩主の池田家の一族で、3歳で城主となりました。自身の父方の祖母が家康公の娘である督姫であったこともあり、当地への勧請となりました。

鳥取東照宮(旧樗谿神社)(鳥取県)

《鳥居》
両部鳥居の三本足の部分だけ改築されたのが材質が違います。

鳥取東照宮(旧樗谿神社)(鳥取県)

《神門》
従来の神門や随身門と雰囲気が違うのは、武家屋敷から委託されたものだからです。

鳥取東照宮(旧樗谿神社)(鳥取県)

《鳥取県神社庁》
神門を潜ってすぐ左にあります。こちらの神社にあったんですね。

鳥取東照宮(旧樗谿神社)(鳥取県)

《池》
鳥取藩は藩主である池田光仲公から徳川家と姻戚関係にあることから親藩・譜代・外様の大名区分においては外様大名に位置付けされていつつも、神紋には徳川家の葵紋を下賜され、一族本家である岡山藩からも独立して国持大名となった経歴があります。

鳥取東照宮(旧樗谿神社)(鳥取県)

《ポニーふれあい広場》
一頭だけポニーがいます。馬はその性質上寂しがり屋らしいのでもう一頭連れてきてあげたい…

鳥取東照宮(旧樗谿神社)(鳥取県)

《随身門》
当社は鳥取城の東側にあり、境内は樗谿公園になっていてとても広い…ちなみにこの名前の由来は、樗(おうち)という木がたくさん生えていた谷だったからだそうです。

鳥取東照宮(旧樗谿神社)(鳥取県)

《手水舎》
水は流れていました。洗ひつるここも…(略)

鳥取東照宮(旧樗谿神社)(鳥取県)

《拝殿》🙏
拝殿周りの境内が広すぎてこじんまりとしているように見えます。
ただし当社の拝殿・幣殿・本殿は重要文化財に指定されています。

鳥取東照宮(旧樗谿神社)(鳥取県)

《本殿》
👁チェックポイント‼️
当社の祭礼として欠かせないものというとやはり「麒麟獅子」ですね。因幡・但馬地方の神社で奉納されている麒麟獅子は、大元がこの鳥取東照宮にて光仲公が祭礼の行列に登場させたことに始まります。
「麒麟」の名の通り大元は中国からの伝来で、麒麟は優れた政治を行うとその徳を慕って現れるという伝承があります。池田家は江戸時代前は豊臣方に与する一族であったこともあり、光仲公から曽祖父の家康公のように立派な政治を行うという意味と、それに準じて徳川方の大名だあるという表明を意味していたとされています。
その後当社から麒麟獅子が各地域の氏子たちが教わり地元の祭礼にて奉納・伝承していき、鳥取から移住の多かった北海道の釧路や利尻町にもあるそうです。

鳥取東照宮(旧樗谿神社)(鳥取県)

《小屋?》

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例祭・神事

例祭 4月17日 
秋祭 10月17日(近い土曜と日曜)

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歴史

寛永9年(1632)、池田光仲が因伯二州を領して入国。日光東照宮の分霊を奉祀するために樗谿に神域の整備、社殿の造営をはじめる。
慶安3年(1650)9月、徳川家康を祀り、以来、東照宮あるいは東照権現と称した。当社は藩主の経営奉仕するところとなり、神領500石を寄進される。社殿の構えは華美であり、祭祀も壮麗に厳修され、その盛儀は比類の無いものであった。
承応元年(1652)、古市村の河原に御旅所が設けられ、9月17日に初めての御幸神事が執行された。昭和初年まで続いていた御幸神事は権現祭と称せられ、国主の勢威と旧藩時代の鳥取の盛時とを追想させるものがあった。当社祭儀は両部神道により行われていたが、明治2年9月、神式に改められた。
明治7年3月、藩祖池田忠継、池田忠雄、池田光仲の三霊を合祀し社名を樗谿(おうちだに)神社と改称した。
明治11年9月、元藩主池田慶徳を合祀。
平成23年鳥取東照宮と改称。
因幡地方に伝わる麒麟獅子は、その舞い方を権現流と称し当社を淵源とする。
[鳥取県神社庁HP当神社由緒書きより]

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鳥取東照宮(旧樗谿神社)の基本情報

住所

鳥取県鳥取市上町87

行き方
アクセスを詳しく見る
名称

鳥取東照宮(旧樗谿神社)

読み方

とっとりとうしょうぐう(おおちだにじんじゃ)

通称

権現さん

参拝にかかる時間

約20分

参拝料

なし

御朱印あり
限定御朱印なし
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳あり
電話番号0857-24-7699
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

巡礼の詳細情報

全国東照宮連合会

第42番

詳細情報

ご祭神徳川家康
池田忠継
池田忠雄
池田光仲
池田慶徳
ご神体

不詳

創建時代

慶安三年(1650年)

創始者

池田光仲

本殿

入母屋造

文化財

本殿・唐門・幣殿・拝殿(国指定重要文化財)
刀4振(県登録有形文化財)

ご由緒

寛永9年(1632)、池田光仲が因伯二州を領して入国。日光東照宮の分霊を奉祀するために樗谿に神域の整備、社殿の造営をはじめる。
慶安3年(1650)9月、徳川家康を祀り、以来、東照宮あるいは東照権現と称した。当社は藩主の経営奉仕するところとなり、神領500石を寄進される。社殿の構えは華美であり、祭祀も壮麗に厳修され、その盛儀は比類の無いものであった。
承応元年(1652)、古市村の河原に御旅所が設けられ、9月17日に初めての御幸神事が執行された。昭和初年まで続いていた御幸神事は権現祭と称せられ、国主の勢威と旧藩時代の鳥取の盛時とを追想させるものがあった。当社祭儀は両部神道により行われていたが、明治2年9月、神式に改められた。
明治7年3月、藩祖池田忠継、池田忠雄、池田光仲の三霊を合祀し社名を樗谿(おうちだに)神社と改称した。
明治11年9月、元藩主池田慶徳を合祀。
平成23年鳥取東照宮と改称。
因幡地方に伝わる麒麟獅子は、その舞い方を権現流と称し当社を淵源とする。
[鳥取県神社庁HP当神社由緒書きより]

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