ひらかわてんまんぐう
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学業成就
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菅原道真公を御祭神とし、全国、約一万二千社を誇る天満宮・天神社
薫り高い”梅”
東風吹かば にほひをこせよ 梅の花、
主なしとて春を忘るな
(拾遺和歌集)
飛梅伝説は有名であり、梅の香りこそ御霊を鎮めると考えられている
撫で黒光りされた”牛”
道真公の遺骸を乗せた牛車が動かなくなり、動かなくなった場所を墓所と決めたと言われている
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神社は生命誕生を表現している。
そんな一節を読んでから、生まれ変わる場所、として時間を作り足を運ぶようになりました。
習うは一生。学ぶことを止めず、学び続けるからこそ若さを保てると考え、臥牛の像を撫でた手で頭を触るり、賢くなるように毎度毎度神妙に頭を垂れ、先ずは学業成就を願います。
もちろん、家内安全・健康長寿・商売繁盛・勝負運・金運・・・頼み事は両手で零れるほどありますが、御祭神にあわせ一つ二つ三つまでに留めて、心改め生まれ変われる場に感謝します。
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創建は文明10年(1478)で、江戸平河城城主・太田道灌が、菅原道真の霊夢により城内の梅林坂上に当社を創建した。
天正18年(1590)に徳川家康が江戸入城後、本丸築造に当たり上平河村に奉遷し、さらに慶長11年(1606)に徳川秀忠が江戸城増築に伴い現在地に奉遷された。
紀州尾張両徳川家、彦根藩井伊家の祈願所になり、新年の賀礼には宮司は将軍に単独拝謁できる格式の待遇を受けていた。
蘭学者・高野長英の大観堂学塾は平河天満宮のすぐ裏手にあったので、高野長英はよく参拝に訪れた。また江戸時代の盲目の国学者、塙保己一も平河天満宮の熱心な信者で、平河天満宮に祈願しながら『群書類従』を完成させた。
火災による十数度の類焼を被っており、大正12年(1923)の関東大震災、昭和20年(1945)の戦災ではほとんどの施設を焼失。戦後、仮社殿にて祭祀を執り行っていたが、昭和44年(1969)に本殿が再建された。
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