あかさかふどうそんいとくじ|真言宗智山派|智劔山
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楽しみ方赤坂不動尊威徳寺のお参りの記録一覧
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赤坂不動尊威徳寺は真言宗智山派のお寺。
858年(天安2年)に開山された。
805年(延暦24年)、伝教大師最澄は帰国の途上、嵐に遭い、自作の不動明王像を海に沈めたことで何とか帰国することができた。858年(天安2年)、越後国三島郡出雲崎(現・新潟県三島郡出雲崎町)の漁師がこの不動明王像を発見して祀った。これが当寺の起源である。
1063年(永承6年)、源頼義は当寺で戦勝祈願し、後に下総国香取郡米沢(現・千葉県香取郡神崎町)に移転させた。
1600年(慶長5年)、良台の代になり、本尊からの霊夢により現在地に移転した。江戸時代は紀州徳川家の祈願寺となっていた。
赤坂と言ったらTBS!
TBSと言ったら、水曜日のダウンタウン。名探偵津田。
TBSから近い。
都会過ぎる場所にあるこのお寺はビルとなっている。
1000年以上の歴史ある寺なので、元は違うものだったのだろう。
が、関東大震災、東京大空襲などで本堂が焼かれ、今の形となったのだ。
それでも御本尊は焼かれず護られたのだという。
お寺とは言えない造りで外のお不動様だけ、と思っていたら、若い修行僧の方が声を掛けてくださり、中に入れていただいた。とても感じの良い人であった。
どうも、お寺にいる人は「何してんねん?ああ?仏教用語も知らないくせに」みたいな怖いイメージがあるもので、特に宗派を問うこともなく歓迎してくれる温かみを感じた。
2階に受付があり、御朱印はそこで。
休憩スペースがあり、給湯器もあった。
トイレを借り、温かいお茶を頂く。TBS周辺なんか紅茶1杯1000円近くするので、タクシーや地下鉄のお金も節約して歩くボンビー高齢者には本当に有難い。
寒い中に温かさが染みる。
ロビーには、島耕作の作者・弘兼憲史先生のサインと、会長・島耕作のあるページが飾られていた。
会長・島耕作の中で登場するのが、ここ赤坂不動尊威徳寺なのだ。
と、すみません・・・ここでスタッフにお聴きして知りました。
なぜに赤坂不動尊威徳寺?
ここは、終活でも有名だ。それでらしいのだ。
都会では菩提寺を持たない人は案外多いのではないだろうか。
という、うちも、遺産相続放棄をしたもので、元菩提寺に入りたいなら新たに墓を購入するしかないらしい。
終活を考える人が増える昨今。都心にあり、利便性もよく、と。
こういうお寺は求められているのかもしれない。
イヤイヤ、お寺の住職、修行僧、スタッフ。皆さん、とても良い方たちだった。
え?
え?本当に普通のお寺?新興宗教団体じゃないよね?と疑ってしまうくらい温かいものだったのだ。
墓地にある御大師様も温かさに輪をかけるものであった。
寒風や 比する本尊 温かし
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●赤坂不動尊威徳寺の起源
805年、伝教大師が帰国の航海中、暴風を鎮めるため自作の不動明王像を海に沈めて祈願した。858年、その像が越後出雲崎で漁師により発見され、信仰の対象となったのが寺の始まりとされる。
●源氏・北条氏の崇敬
平安時代後期には源頼義が戦勝祈願を行い、1063年に下総国米沢に像を遷座。鎌倉時代には北条時宗が文永の役に際して祈願し、寺運が隆盛を極めた。
●江戸期の移転と発展
1600年、住僧良台が本尊の霊告に従い、現在の赤坂一ツ木の地に寺を移転。溜池を望む地勢から「池見山」と称し、のちに「智剣山」と改められた。
●徳川家との関わり
江戸時代には紀州徳川家の祈願寺として庇護を受け、多くの寺宝を伝える。内陣には徳川家奉納の厨子や仏具が現存する。
●信仰と霊験
御府内八十八ヶ所霊場の第75番札所。江戸の火災や震災、戦災を免れたことから霊験あらたかな不動明王として今も広く信仰されている。




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