あなはちまんぐう
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穴八幡宮ではいただけません
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穴八幡宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年04月30日(日)
参拝:2023年4月吉日
早稲田を散策、神社めぐりをしました🙏以前近くで10年ほど働いていたことがあるのですが、こんなに立派な神社があったとは😲新しい発見と感動がありました💓
御祭神
應神天皇(品陀和気命)
仲哀天皇(帯中日子命)
神功皇后(息長帯比賣命)
御由緒
康平五年(西暦1062年)、奥州の乱を鎮圧した源義家(八幡太郎)が凱旋の折、日本武尊命の先蹤に習ってこの地に兜と太刀を納めて氏神八幡宮を勧請し、永く東北鎮護の社として祀りました。それ以降、慶長・元和(1569年~1623年)の頃まで、この辺りは八幡山と呼ばれ、神木の下に小祠が祀られていました。寛永十三年(1636年)には、早稲田に居住する幕府の御持弓組頭である松平直次がこの地に的場を築き、射芸の守護神として八幡宮を奉祀しました。
寛永十八年(1641年)、宮守の庵を造る為に南側の山裾を切り開いたところ神穴が出現し、中から金色の御神像が見つかった事などから、この時より穴八幡宮と唱えられるようになりました。
同年、この地に居住していた幕府の祐筆大橋龍慶が方百間の地を献じ、社殿を壮大に造営しました。この頃、神木の松から瑞光を放ち、また将軍世嗣誕生に際して色々奇瑞のあった事が、たまたま鷹狩の途次に当社へ参拝された三代将軍徳川家光公の上聞に達し、当社を江戸城北の総鎮護として総営繕を命ぜられました。
神社ホームページより
御祭神
應神天皇(品陀和気命)
仲哀天皇(帯中日子命)
神功皇后(息長帯比賣命)
御由緒
康平五年(西暦1062年)、奥州の乱を鎮圧した源義家(八幡太郎)が凱旋の折、日本武尊命の先蹤に習ってこの地に兜と太刀を納めて氏神八幡宮を勧請し、永く東北鎮護の社として祀りました。それ以降、慶長・元和(1569年~1623年)の頃まで、この辺りは八幡山と呼ばれ、神木の下に小祠が祀られていました。寛永十三年(1636年)には、早稲田に居住する幕府の御持弓組頭である松平直次がこの地に的場を築き、射芸の守護神として八幡宮を奉祀しました。
寛永十八年(1641年)、宮守の庵を造る為に南側の山裾を切り開いたところ神穴が出現し、中から金色の御神像が見つかった事などから、この時より穴八幡宮と唱えられるようになりました。
同年、この地に居住していた幕府の祐筆大橋龍慶が方百間の地を献じ、社殿を壮大に造営しました。この頃、神木の松から瑞光を放ち、また将軍世嗣誕生に際して色々奇瑞のあった事が、たまたま鷹狩の途次に当社へ参拝された三代将軍徳川家光公の上聞に達し、当社を江戸城北の総鎮護として総営繕を命ぜられました。
神社ホームページより
正面参道鳥居⛩
亀の石像🐢
穴八幡宮公園
階段を登ります✨
随神門✨
きれいな境内✨
手水舎✨
布袋尊舎、なでました!
社殿✨左手に社務所🙏
左の鳥居が神武天皇陵遥拝所、右が鼓楼✨
神武天皇陵遥拝所
出現殿✨
直書き御朱印✨
北参道鳥居⛩
すてき
みんなのコメント(2件)
ぱん吉🍀
えいさん
境内の様子も御朱印も素敵ですね!!
先日の寺社めぐり~穴八幡宮と周辺のお寺も参拝する予定でしたが雨で予定変更して諦めたのです😓
投稿を見ながら残念感が増していますよ、、
次は行けたらいいなぁ😊
2023年04月30日(日)
ぱん吉さん
コメントありがとうございます♪
そうだったんですね!私は近くをうろうろしていたのに存在すら知らなくて、
まあ、以前は興味がなかったんですけど💦
ほとかみの投稿で知って今回お参りに来たんですけど、今が私にとっての良い時期だったんだなあと勝手に思ってます😊
どの季節に来ても良さそうですよ👍きっと良いご縁が待ってると思いますよー✨
2023年04月30日(日)
投稿者のプロフィール
えい608投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
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