かぶとじんじゃ
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兜神社ではいただけません
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兜神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2020年02月05日(水)
参拝:2020年2月吉日
証券界の守り神とされる兜神社です。
証券とは関わりありませんが、仕事場はここから徒歩2分です。
守護神、倉稲魂命(うかのみたまのみこと=御稲荷さんの別名)
境内に兜岩と呼ばれる岩があります。この岩には以下にご紹介するような幾つかの由来があるのですが、いずれも確たる裏付けがあるわけではないようです。
1、後三年の役(西暦1080年代)にて、源義家が奥州から凱旋してきたとき、東夷鎮定の祈願を兼ねて記念のため、兜を楓川の辺の土中に埋めて塚を作ったそうです。これを当時の人達は兜塚と呼んだのですが、いつしか兜岩となったとのことです。
2、前九年の役(西暦1050年代)にて、源義家が奥州征伐に向かう際、岩に兜をかけて戦勝を祈願したことから、この岩を兜岩と呼びようになったとのことです。
3、承平の乱(西暦935~940年)にて、藤原秀郷が平将門の首を打って京都へ運ぶ際、その平将門の打首に兜を沿えていたのですが、この地で罪滅ぼしにと兜だけ土中に埋め塚を作って供養したそうです。この塚を当時は兜山と呼んだそうですが、そこに兜神社が建ち、いつしか兜岩だけが残ったとのことです。
証券とは関わりありませんが、仕事場はここから徒歩2分です。
守護神、倉稲魂命(うかのみたまのみこと=御稲荷さんの別名)
境内に兜岩と呼ばれる岩があります。この岩には以下にご紹介するような幾つかの由来があるのですが、いずれも確たる裏付けがあるわけではないようです。
1、後三年の役(西暦1080年代)にて、源義家が奥州から凱旋してきたとき、東夷鎮定の祈願を兼ねて記念のため、兜を楓川の辺の土中に埋めて塚を作ったそうです。これを当時の人達は兜塚と呼んだのですが、いつしか兜岩となったとのことです。
2、前九年の役(西暦1050年代)にて、源義家が奥州征伐に向かう際、岩に兜をかけて戦勝を祈願したことから、この岩を兜岩と呼びようになったとのことです。
3、承平の乱(西暦935~940年)にて、藤原秀郷が平将門の首を打って京都へ運ぶ際、その平将門の打首に兜を沿えていたのですが、この地で罪滅ぼしにと兜だけ土中に埋め塚を作って供養したそうです。この塚を当時は兜山と呼んだそうですが、そこに兜神社が建ち、いつしか兜岩だけが残ったとのことです。
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