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にほんばしひえじんじゃ

日本橋日枝神社の御由緒・歴史
東京都 茅場町駅

ご祭神日枝大神(大山咋神・国常立神・伊弉冉神・足仲彦尊)
菅原大神(菅原道真公)
稲荷大神(宇氣母智神)
浅間大神(木花佐久夜比売命)
ご由緒

当社は約四百年前の天正十八年(1590)、徳川家康公が江戸城に入城し、日枝大神を崇敬されて以来、御旅所のある「八丁堀北嶋(鎧島)祓所」まで神輿が船で神幸された事にはじまります。
 寛政十二年(1800)に発行された『江戸名所図会』巻二では、神主樹下氏持ちの山王宮と別当観理院持ちの山王権現の遥拝の社が並び建つ様子が描かれています。隔年六月十五日の山王祭の際は、この二社の手前に仮殿が設けられ、永田馬場の本社からの神輿三基を中心とする供奉行列の神幸があり、実に大江戸第一の大祀にして壮観であったと伝えられています。
 境内地には天満宮、稲荷社、浅間社のほか、山王の「本地(仏の姿)」とされる薬師堂や閻魔堂も建立され、縁日や勧進相撲も行われていました。
 明治元年(1868)、それまでともに祀られていた神と仏を明確に分ける神仏分離令によって、薬師堂と同別当智泉院の敷地は境内から分離されました。明治十年(1877)に山王宮は無格社日枝神社に、大正四年には本社(千代田区永田町)の官幣大社昇格に伴い摂社日枝神社と改称されました。
 昭和三年には境内末社(北野神社・稲荷神社・浅間神社)が合祀されました。昭和二十年三月の東京大空襲により罹災しましたが、平成二十二年には、老朽化した社殿に外装工事を施し今日に至ります。

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