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将門塚のお参りの記録一覧
東京都 大手町駅

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笑坊主
笑坊主
2026年02月05日(木)469投稿

都心のビル街にある平将門公の御靈がお祀りされる鎮魂の場です。

将門塚(東京都)

 徳治二年(1307)一遍上人の弟子で、時宗第二祖となる他阿眞教上人が、将門の怨靈に怯える付近の村人のために、『蓮阿彌陀佛』の法名を授け、荒れ果てていた首塚の上に板碑を建立供養して、その靈を鎭め、かたわらの天台宗日輪寺という寺を時宗の芝崎道場に改宗したのが始まりと伝わります。

将門塚(東京都)

 江戸時代に寺は浅草に移されますが、塚はそのまま残されたようです。板碑の南無阿弥陀佛の文字は他阿眞教上人の直筆ですが、板碑は何度か建て直されていて、その都度、日輪寺の碑から拓本が取られて、文字が写されるそうです。

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ひなぎく
ひなぎく
2025年08月23日(土)876投稿

将門塚は千代田区大手町にある平将門公の御首をお祀りする墳墓であり、神田明神創建の地でもあります。
高層ビルに囲まれた一画にあり、参拝者が途切れず訪れていました。現在の様子からはとても想像できませんが、塚が築かれた当時は江戸湾の波が打ち寄せる海浜で「竜の口」と呼ばれていたそうです。

【歴史】
平将門公は平安時代中期、坂東八カ国で大規模な反乱を起こし940年に没しました。享年は一説に38歳と伝わります。将門公の所縁者たちにより、この地に墳墓が築かれたといいます。

徳治2年(1307)時宗二祖 真教上人が江戸に行脚した折、将門塚が荒れ果てていたため塚を修復し、板石塔婆を建てて傍らの日輪寺において供養したとされます。
日輪寺の記録によると、真教上人は延慶2年(1309)塚の傍らにあった安房神社(洲崎神社)の分社が、これまた荒れ果てているのを悲しんで社殿を修復し、将門公の霊を相殿にお祀りして神田明神と改称し、国家鎮護の社としたとあります。

江戸時代になり日輪寺も神田明神も移転してしまい、塚だけがこの地に残りました。明治維新後に首塚が保存されたのは、故渋沢栄一翁の尽力によると伝えられます。

関東大震災後には大蔵省再建に際して崩され、大東亜戦争末期には空襲により焦土と化しました。米進駐軍の一大モータープールになる運命だったところ、事故(祟り)が相次ぎ取り毀しはなくなりました。

令和3年に第六次整備工事として将門塚保存会などにより現況のように整備されました。

(参照)
・神田明神ホームページ
・史蹟将門公保存会ホームページ

将門塚(東京都)
将門塚(東京都)

ちょうど保存会の方と思われる人が来られていました。

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