のぎじんじゃ
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乃木神社ではいただけません
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乃木神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年09月08日(水)
参拝:2020年8月吉日
乃木神社(のぎ~)は、東京都港区赤坂にある神社。旧社格は府社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は明治の軍人・乃木希典命とその妻・乃木静子命。
明治45年(1912年)7月30日に明治天皇が崩御し、9月13日に大喪儀が挙行され、その当日乃木希典陸軍大将とその妻・静子が天皇に殉じて自刃した。その後、乃木夫妻の忠誠心に感激した国民が乃木邸に訪れるようになり、翌年1913年乃木邸内に小社を建て乃木夫妻の霊を祀った。1919年に乃木神社創建の許可が下り、1923年に鎮座際が挙行され、同時に府社に列格した。なお、1945年の米軍による東京大空襲で社殿を焼失したが、戦後の1962年に社殿が復興された。
当社は、東京メトロ千代田線・乃木坂駅1番出口の上にある。周囲は中小オフィスビル街(同区画にジャニーズ事務所もある)。都心の大社らしく、境内はそこそこの広さはあり、大木も散見されるが、社殿含め大きな建物で埋まっていて、見て廻るエリアはさほど広くはない。社殿等の建物もコンクリート造りの現代的なものがほとんどで、綺麗にメンテが施されている。
今回は、旧社格が東京府の府社であることから参拝することに。参拝時は週末の午後、コンパクトで現代的な境内には参拝者がちらほらいた。
明治45年(1912年)7月30日に明治天皇が崩御し、9月13日に大喪儀が挙行され、その当日乃木希典陸軍大将とその妻・静子が天皇に殉じて自刃した。その後、乃木夫妻の忠誠心に感激した国民が乃木邸に訪れるようになり、翌年1913年乃木邸内に小社を建て乃木夫妻の霊を祀った。1919年に乃木神社創建の許可が下り、1923年に鎮座際が挙行され、同時に府社に列格した。なお、1945年の米軍による東京大空襲で社殿を焼失したが、戦後の1962年に社殿が復興された。
当社は、東京メトロ千代田線・乃木坂駅1番出口の上にある。周囲は中小オフィスビル街(同区画にジャニーズ事務所もある)。都心の大社らしく、境内はそこそこの広さはあり、大木も散見されるが、社殿含め大きな建物で埋まっていて、見て廻るエリアはさほど広くはない。社殿等の建物もコンクリート造りの現代的なものがほとんどで、綺麗にメンテが施されている。
今回は、旧社格が東京府の府社であることから参拝することに。参拝時は週末の午後、コンパクトで現代的な境内には参拝者がちらほらいた。
境内入口全景。都心の大社らしく高いビルに囲まれていて、東京メトロ・乃木坂駅の出口のそばにある。
境内入口の<一の鳥居>。<社号標>は、上写真の右側にあって、樹木に覆われ見えにくい。
一の鳥居をくぐって右前方に進むと<二の鳥居>。
上の写真の左手にある<旧乃木邸裏門>。もと乃木夫妻が暮らした明治期の和洋折衷建築の邸宅で、遺言により東京市に寄贈された。
二の鳥居をくぐってすぐ左手にある<赤坂王子稲荷神社>。乃木夫妻が崇敬していた王子稲荷神社を戦後になって勧請した。
こちらは<御神木>のクスノキ。銅板葺の本殿の代わりに雷が落ちたことから「雷神木」という名が付いている。
二の鳥居をくぐって少し進み、左を向くと境内全景。荘厳な雰囲気。
<拝殿>遠景。真っ直ぐな参道を進む。
<拝殿>全景。1962年、祭神50年祭に合わせて再建された社殿。
<拝殿>正面。拝殿の奥に、幣殿、本殿が少し見える。
参道右側の建物。1階が<宝物殿>、2階が<儀式殿>。1983年竣工。
上写真の建物の右側には<授与所>。御朱印はこちら。
授与所の一角に立つ珍しい樹木<楷樹>。樹形が美しく一点一画が整っていることから、書体の<楷書>の語源と言われる。別名は<孔子木>。大正時代に農商務省農業試験場の初代所長の白沢博士が中国の孔子墓にあった種子を持ち帰り当社に奉納したものとのこと。
すてき
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惣一郎1269投稿
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