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羽黒三田神社は、東京都西多摩郡奥多摩町にある神社。式内論社。祭神は、高皇産霊神、少彦名神、天穂日命。
社伝によると創建は平安時代前期の860年、出雲の人、土師連行行基が東国に下向し、御嶽山に詣り神告を得て、当地に高皇産霊神、少彦名神の2神を祀り、穴澤天神と号したことに始まる。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵国 多磨郡 穴澤天神社 小」の論社となっている(他の論社は4社あり、青梅市の武蔵御嶽神社、稲城市の大麻止乃豆乃天神社、八王子市の天満社、府中市の大國魂神社)。
これとは別に、室町時代の1434年に近隣の天穂日命を祀る神社と、羽黒大神を祀る神社を合祀して、羽黒大権現と称した。1506年には平将門の子孫で地元領主の三田弾正次秀が社殿を再建し、領内総鎮守とした。
明治時代になって、穴澤天神と羽黒大権現を合わせて羽黒三田神社と改称し、1889年に社殿を造営した。
当社は、JR青梅線の終点・奥多摩駅から直線距離で1km弱の小山の頂上にある。Google Mapだと、道のりで1.4kmと表示されるが、これが大冒険・サバイバルの始まり。まず神社の入口が分からず、付近の坂道を数十分行ったり来たり。入口が分かった後は体力勝負のプチ登山が始まり、短い距離で急峻に登る山道(参道)は、標高差は100m程度、時間は20分程度で大したことはないが、途中何度も立ち止まらざるを得ず、先が見えないこともあり精神的肉体的疲労度は高い。山頂の神域は、簡素な社殿と簡素な手水鉢だけがあるシンプルなもの。ただ、神聖な空気がスゴイ。
今回は、武蔵国の式内論社として参拝することに。参拝時は週末の午後、境内入口から登り始めて以降は、人っ子一人出合わなかった。
山頂まで続くアスファルト道路から少し逸れた、分かりにくい場所にある神社入口。写真右下の矢印看板に<羽黒三田神社 表参道入口>と書いてあるのを見てひと安心。
入口の左側には<大山祇神社・多賀神社>や<弁財天像>などが並ぶ。
入口を入ると、いきなり壊れた小社が放置されている。大丈夫かな?
少し進むと、先ほど迷って何度も往復したアスファルトの坂道の上に橋が架かっている。
民家の横を徐々に登って行く。社殿はもうすぐかな?
さらに登ると、だんだん石のサイズが大きくなって荒れてくる。
やがて、路面が木の根や埋まった岩になってくる。けっこう登りにくい。
木々を抜けて明るい場所に出たが、社殿はなし。やがて道が折り返し、ジグザグに登り始める。
それにしても、とにかく坂の勾配が急。日頃の運動不足がたたり、ゼーゼー言いながら、途中休憩を挟みつつ進む。
途中木々の間から見えた、東京都の山々。
(景色はキレイだが、なかなか社殿に辿り着かない不安と疲れから、ぜんぜん景色を楽しめない...涙)
行けども行けども辿り着かず。ついに参道は木の根っこになった。足元をよく見ないと、かなりつまづきやすい。
木の根っこを恨めしく眺めながら登って行くと、上方に鳥居らしきものが。どうやら、やっと着いたみたい。
時間的には、ここまで30分はゆうに掛かったと思っていたが、後で写真の時刻を確認するとたったの10分。精神的・肉体的苦痛というのはすごい。
山の頂上に神域があって、その部分の空がぽっかり空いている。
神域入口の鳥居。街の喧騒からは完全に隔絶された、神聖な雰囲気。
<拝殿>全景。トタン葺の簡素なもの。拝殿前の狛犬は新しい。
<拝殿>正面。扁額は掛かっていない。
拝殿後ろの<本殿>。相当年季は入っているが、よく見ると壊れた部分もなく、しっかりと手入れされている。
<社殿>全景。これだけの建物の材料を、さっきの急峻な参道を担いできたと思うと感動もの。
拝殿から見た、境内全景。
本殿に近い方の境内社。社名は不明。木製・トタン屋根。
本殿から遠い方の境内社。社名は不明。石製小祠。まだ新しそう。
帰りは距離や時間が分かっているので、気分は行きとは全然違って気楽~♪ (^▽^)/
ふもとの境内入口まで戻る。すでに体力残量は20%ほど。都心まで戻れるかが心配...(^_^;)
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