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とらかしわじんじゃ

虎柏神社
東京都 青梅駅

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惣一郎
惣一郎
2021年08月26日(木) 11時38分47秒
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虎柏神社(とらかしわ~)は、東京都青梅市にある神社。式内論社で、旧社格は郷社。祭神は、正殿(虎柏神社)に大歳御祖神(おおとしみおやのかみ)、惶根神(かしこねのかみ)、東相殿(諏訪上下神社)に建御名方命、八坂刀売命、西相殿(八雲神社)に素戔嗚尊、事代主命。

創建は不詳だが、社伝によると、崇神天皇の御代に神戸を寄進された。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵国 多磨郡 虎柏神社 小」に比定されている(東京都調布市の「虎狛(こはく)神社」も論社とされている)。940年に源経基が諏訪大社より諏訪上下神を勧請し、永正年間(1504年~1521年)に勝沼城主・三田氏宗により再興された。1588年に浅野長政が牛頭天王(除疫神)を勧請し、正殿に諏訪上下神、東相殿に虎柏神、西相殿に牛頭天王として、小曽木郷の総社を号した。1591年には徳川家康より朱印地3石を下賜され、江戸時代は「諏訪明神」、「お諏訪さま」と称され尊崇を受けた。明治時代に入り、それまで脇殿に祀られていた虎柏神を正殿に遷し、諏訪上下神を東相殿として、「虎柏神社」の旧称を復活した。

当社は、JR青梅線・東青梅駅の北方1.5kmの緩い丘陵地帯の小山の上にある。小山の麓に境内入口の鳥居があって、山頂付近の平らな場所が神域になっている。麓から神域までは舗装路があるため簡単に登れるが、木々が深く包まれる感じがするため神聖な雰囲気が抜群。

今回は、武蔵国の式内論社として参拝することに。参拝時は週末の午後遅くで、参拝者は自分以外にはいなかった。

※御朱印は、南方に2kmちょっと離れた千ヶ瀬神社の宮司さん宅で拝受できる。

虎柏神社のその他建物

都道194号線(成木街道)沿いにある<社号標>。ただし、近くのバス停名は旧社名の<諏訪神社前>。ちょっと分かりにくい...

虎柏神社の鳥居

社号標の50mほど後方、丘の入口にある<鳥居>。ただし、ここにあるのは鳥居だけで、境内は右側の道を進み、数百m丘を上がった場所にある。

虎柏神社のその他建物

参道を登り切った場所から社殿を望む。高い木々が立ち並び、神々しいイメージ。

虎柏神社の本殿・本堂

<社殿>遠景。幹の太い巨木が見た目の印象を引き締める。

虎柏神社の手水舎

社殿前、参道左側にある<手水舎>。堂々とした巨岩の<手水盤>。

虎柏神社の本殿・本堂

階段下から<拝殿>を見上げる。

虎柏神社の本殿・本堂

<拝殿>正面。建物躯体に色彩はなく、屋根の赤色だけがアクセント。

虎柏神社の本殿・本堂

拝殿正面に掛かる<扁額>。扁額には社名ではなく<延喜式内>と書いてある...

虎柏神社の本殿・本堂

<社殿>全景。拝殿後ろの本殿(覆殿)は大きい。

虎柏神社の末社・摂社

社殿の左側(西側)にある<稲荷神社>(左)と<夕日の仮屋>(右)。<夕日の仮屋>は、どういう謂れなのかな?

虎柏神社(東京都)

社殿の右側(東側)にある<朝日の仮屋>。こちらも、どういう謂れなのか気になる...

虎柏神社のその他建物

拝殿前から見た境内全景。天に向かってまっすぐ伸びる杉の巨木が、当社独特の雰囲気を醸し出していて非常に良い。

虎柏神社のその他建物

境内入口の奥には、山に登って行く位置に<鳥居>が。すごく気になったが、この日は羽黒三田神社で体力を使い果たしたため、残念ながらパス...涙

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歴史

 本神社の創立時代は非常に古いため不明であり、公称「虎柏神社」と称して従前の社号に戻しました。崇神天皇の御代に神地神戸(神社の土地と人民)を貰い、延喜年間官帳に記載されました(これを延喜式内神社といいます)。多摩郡八座(多摩地方で官帳に記載した八神社)の一つになり、毎年の祈年領幣の官祭(毎年行われる各種の祭祀)を行っていました。
 いつの頃からか領主の御神と称して「諏訪上下神」を正殿として、「虎柏神社」を脇殿に遷されました。そのため、自然に名前が変わってしまいましたが、明治維新の際に永く埋没していた社号(虎柏神社)を使用すると共に、大歳御祖神、惶根神を正殿に遷し、諏訪上下神を相殿(脇殿)に遷しました。 
 東方の御相殿の「諏訪上下神社」は、天慶三年(940)に六孫王経基が当国に在住の際に勧請したもので、本神社は虎柏神社でありますが、「お諏訪さま」と親しまれておりますのは中世より明治維新まで永く「諏訪上下神社」が正殿となったことによります。
 西方の御相殿の「八雲神社」は、天正十六年(1588)に浅野弾正少弼長政が疫神として勧請されました。祭神は「武勇の大神」でありますが、祇園精舎の守護神となっており「牛頭天王」ともいいます。

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虎柏神社の基本情報

住所

東京都青梅市根ケ布1-316

行き方

JR青梅線「東青梅駅」から徒歩20分
都営バス、西武バスにて「諏訪神社前」下車

アクセスを詳しく見る
名称

虎柏神社

読み方

とらかしわじんじゃ

通称

おすわさま

参拝時間

参拝自由

参拝にかかる時間

約20分

参拝料

なし

トイレなし
御朱印あり
限定御朱印なし
御朱印帳に直書きあり

本社の御朱印

御朱印の郵送対応なし
御朱印帳なし

詳細情報

ご祭神大年御祖神
惶根神
建南方命
事代主命
須佐之男命
ご神体

不詳

創建時代

不詳

創始者

不詳

本殿

三間社切妻造

ご由緒

 本神社の創立時代は非常に古いため不明であり、公称「虎柏神社」と称して従前の社号に戻しました。崇神天皇の御代に神地神戸(神社の土地と人民)を貰い、延喜年間官帳に記載されました(これを延喜式内神社といいます)。多摩郡八座(多摩地方で官帳に記載した八神社)の一つになり、毎年の祈年領幣の官祭(毎年行われる各種の祭祀)を行っていました。
 いつの頃からか領主の御神と称して「諏訪上下神」を正殿として、「虎柏神社」を脇殿に遷されました。そのため、自然に名前が変わってしまいましたが、明治維新の際に永く埋没していた社号(虎柏神社)を使用すると共に、大歳御祖神、惶根神を正殿に遷し、諏訪上下神を相殿(脇殿)に遷しました。 
 東方の御相殿の「諏訪上下神社」は、天慶三年(940)に六孫王経基が当国に在住の際に勧請したもので、本神社は虎柏神社でありますが、「お諏訪さま」と親しまれておりますのは中世より明治維新まで永く「諏訪上下神社」が正殿となったことによります。
 西方の御相殿の「八雲神社」は、天正十六年(1588)に浅野弾正少弼長政が疫神として勧請されました。祭神は「武勇の大神」でありますが、祇園精舎の守護神となっており「牛頭天王」ともいいます。

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