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かつては白髭・諏訪・稲荷の三柱を祀っていた事から「三社明神社」と称された。
明治になり「白髭神社」へ改称、昭和十八年(1943)に「白山神社」を合祀し現在の「青砥神社」へ改称、さらに戦後になり青戸地区の5社を合祀している。
その後、葛西城址の「青砥藤綱神社」も合祀したため現在は9柱の神を祀る。
「万葉集」巻十四の東歌に
にほどりの葛飾早稲を贄すとも そのかなしきを外に立てめやも
とありますが、この地は米どころとして葛飾の野に実った早稲の新米を神様に供して新嘗の祭事を営んでいた事が窺えます。また青戸付近は良質粘土の原産地として早くも古墳時代より土器作りを主要とした人々の生活の地でもありました。
このように祭事に深く関わり営まれた信仰の地は葛西御厨(伊勢神宮の神領地)として応年五年(1398)下総国葛西御厨注文(鏑矢伊勢宮方記)に見えています。
その後、幾多の戦や行政の変遷などにも揺らぐことなく受け継がれ、三社明神(稲荷・白髭・諏訪)と称し、この里の鎮守神と崇られた様子が天正丙子年(1576)頃から文献等にみえ、その広大無辺の御神徳はこの里に人々が暮らしはじめてから千有余年変わることなく今を生きる皆様の上にも遍く日夜加護されております。
明治の御代に入り、詔によって神社の正実を明らかにすることとなり、同五年社名を白髭神社と改称。その後、昭和十八年九月には旧青戸4丁目鎮座の白山神社を合祀して青砥神社と改め直し、さらに昭和三十五年旧青戸町内に鎮座せる高木神社・八幡神社・北野神社・葛葉稲荷神社・水神社を合祀申し上げ今日に至っております。
このように悠久の時を経て、当神社は氏子・崇敬者の方々の『こころの故郷』としてこの地にお鎮まりになっておられます。
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