せんじゅじんじゃ
千住神社公式東京都 千住大橋駅
社務所受付時間
午前8時から午後5時
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限定 | |||
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御朱印帳 | |||
駐車場 | あり |
東京都足立区千住宮元町に位置する千住神社(せんじゅじんじゃ)は、旧称西森神社および千崎稲荷神社としても知られる歴史ある神社です。
●歴史的背景
千住神社の起源は、延長4年(926年)に遡ります。この年、土地の鎮護と五穀豊穣を祈願して、伏見稲荷から分霊を勧請し、千崎稲荷神社が創建されたと伝えられています。さらに、永承6年(1051年)には、源義家が奥州征伐の際に荒川を渡り、ここで戦勝祈願を行ったという記録が残っています。この地は、鎌倉時代から江戸時代にかけて「二ツ森」と呼ばれ、将軍たちが鷹狩りを楽しんだ場所でもありました。
明治時代に入ると、千崎稲荷神社と氷川神社が合祀され、西森神社と改名されました。そして、1923年には現在の「千住神社」と名を変えました。
●境内社と文化財
千住神社の境内には、いくつかの社が存在します。恵比寿神社は「千寿七福神」の一神として親しまれ、独特の祈願方法があります。参拝者は恵比寿像を回し、その後、特定の部位を撫でることで祈願を行います。
また、神社内には「夫婦銀杏」と呼ばれる御神木があり、縁結びや家内安全、子宝安産の象徴として親しまれています。この木は、戦争の焼失を乗り越え、今も健在です。
当神社は、千住に集落が形成された、延長四年(926年)、土地鎮護と五穀豊穣を祈って、伏見稲荷より御分霊を勧請し、稲荷神社を創立した。永承六年(1051年)源義家は、奥州征伐の際、荒川(現千住大橋付近)を渡り、二ツ森(千住神社)に陣営し、神前に戦勝を祈願したと、古記録に記載されている。
弘安二年(1279年)に武蔵国、一の宮氷川神社の御分霊を勧請し、氷川神社を創立した。この為にここを二ツ森と言っており、旧考録には、代々の将軍が鷹狩りを行ったという記事が随所に記録されている。
寛永年間に至って、千住が日光街道の第一宿となり、当神社は、その西方にある為に、西の森とも言われた。江戸時代までは、稲荷神社と氷川神社の二つの神社があったが、明治五年十一月十八日、両社は村社と定められ、更に翌六年六月には、稲荷神社を氷川神社に合祀し、西森神社と名を改めた。同年七月五日に、足立区内最高唯一の郷社と定められ、更に大正四年十二月十五日以来、千住神社と改称した。
昭和二十年四月、戦災にあい、全ての建物は焼失したが、三十三年以降、御社殿、社務所、会館、等が再建され、戦前以上に立派に整備された。
名称 | 千住神社 |
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読み方 | せんじゅじんじゃ |
参拝時間 | 社務所受付時間
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参拝にかかる時間 | 約15分 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | あり |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 03-3881-1768 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | www.senjujinja926.com |
絵馬 | あり |
SNS |
千寿七福神 第4番 | 御本尊:恵比寿神 |
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ご祭神 | 《主》須佐之男命,宇迦之御魂命 |
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創建時代 | 延長四年(926) |
ご由緒 | 当神社は、千住に集落が形成された、延長四年(926年)、土地鎮護と五穀豊穣を祈って、伏見稲荷より御分霊を勧請し、稲荷神社を創立した。永承六年(1051年)源義家は、奥州征伐の際、荒川(現千住大橋付近)を渡り、二ツ森(千住神社)に陣営し、神前に戦勝を祈願したと、古記録に記載されている。
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体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬結婚式七五三御朱印お守り祭り札所・七福神巡り夏詣 |
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