たまひめいなりじんじゃ
玉姫稲荷神社のお参りの記録一覧
玉姫稲荷神社は、760年(天平宝字4年)の創建と伝えられ(新編武蔵風土記稿を参照したが、文献により不詳とされているケースもあるため諸説)、新田義貞が鎌倉に進撃する際に戦勝祈願をしたという歴史を持つ、由緒ある神社です。武蔵国豊島郡王子村(現在の東京都北区)の王子稲荷神社との関係も指摘されています。
1945年の東京大空襲で全焼しましたが、その後再建され、現在も地域の信仰を集めています。
靴のめぐみ祭り市: 毎年4月と11月には、地場産業である製靴業者の協力のもと、「靴のめぐみ祭り市」が開催されます。靴の大安売り市や、古靴の供養などが行われ、地域の人々でにぎわいます。
口入稲荷神社: 境内には、かつて遊郭へ遊女を斡旋していた業者に祀られていた口入稲荷神社があります。
新編武蔵風土記稿: この古文書には、玉姫稲荷神社の由緒や、新田義貞との関わりなどが詳しく記されています。
天平宝字4年(760)、京都・伏見稲荷大社より御分霊を勧請し創建されたという。
正慶2年(1333)に新田義貞公が鎌倉の北条高時追討の折に当社で戦勝を祈願し、弘法大師直筆という稲荷大神の像を瑠璃の玉塔に奉納したことが「玉秘め」の社号の由来となったとされる。
江戸時代に発刊された地誌「江戸砂子増補」によれば、王子稲荷神社と神縁があるとも伝わる。
また「江戸名所花暦」「江戸名所図会」など、著名な地誌にも当社の記載がある。
明治44年(1911)に新吉原で発生した大火や大正12年(1923)の関東大震災、さらには昭和20年3月10日の空襲によって社殿はたびたび焼失しており、現社殿は昭和27年5月に再建された。
当社の氏子には地場産業である製靴業者も名を連ねており、毎年11月に「靴のめぐみ祭り市」と題して、靴の大安売り市が開かれている。
台東区にある稲荷神社で、江戸時代には伏見稲荷大社から「稲荷勧請」の流行によって多くの稲荷神社が建てられた東京ですが、当社はその中でも天平年間に建てられたとされており、特に古いお稲荷さんと言えるのかもしれません。
《鳥居と社号碑》
当時は桜が綺麗に咲いてました。
《表参道》
周辺の会社の駐車場と化してます。
《神輿庫》
こちらの神幸祭はかなり盛大に元気よく行われます。参加したので間違いない。
《手水舎》
水は止められていました。
《拝殿》
👁チェックポイント‼️
稲荷神社でもかなりの歴史を数えている中で、鎌倉時代に新田義貞公によって北条高時公の戦勝祈願を行ったとされ、稲荷神社の中でも勝利の神様としての神徳を持つのはかなり珍しいです。
《扁額》
明治神宮5代目の鷹司信輔さんの浄書です。
《末社》
周辺に勧請されていた稲荷神社と思われる末社がいくつかあります。
《末社・八神神社》
《神紋》
西日暮里から一駅歩き、日暮里駅からバスであしたのジョーで知られる泪橋(思川に架かる橋だが、暗渠になっており橋とはいえず地名のみ)を通って公園に隣接した玉姫稲荷神社神社に到着。この辺りは台東区で、地図を見ると浅草が結構近かったりする。隣接する公園にはホームレスの小屋があったりするが付近にトイレもあり住むには環境が良いのかも。日本は大乗仏教が多いがまだ貧困に悩まされる人が多いのは何故だろうか?心境には大乗仏教に対応する思想もあると思うが、思うに現在の宗教はここのの内面を重視し、即物的な面は行政が担うのであろうか?何以下もやもやを抱えながらの参拝でした。肝心の神社は境内は駐車場になっており、開放的な雰囲気、鎮守の杜もない。稲荷神社としては華美なところはない。本日は御朱印対応は無く、どうやら毎日ではないらしい。
SNSでも情報はなく、御朱印を希望する方は事前に連絡を入れたほうは良いのかも。
鳥居
社号標
常夜灯
参道
灯籠
狛犬
天水舎
拝殿
扁額
本殿
境内社 八神殿(白山神社・八幡神社・八坂神社・春日神社・金毘羅神社・松尾神社・天祖神社・王子神社)
境内社鳥居
境内社 口入稲荷神社
天水舎
本日最後の参拝です。
この辺りはかなりリーズナブルな旅館が多いエリアなんですね。たくさんありました。
観光地って感じではなく、日雇い労働者さんのための旅館って感じでしょうか。
浅草も徒歩エリアです。
近づいたら逃げられました…
到着
社名標
この狛犬、なんかかっこいいと思いました。
拝殿
扁額
手水舎
口入稲荷神社。
何故か開いてませんでした。
拝殿横に社務所。
御朱印とかお守りとか、案内は何も書いて無かったんですが、思い切って社務所の引き戸を開けてみました。御朱印を受けたい旨を伝えると、快く応じて頂きました。ありがとうございました♪
直書きで拝受しました!
御祭神
宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)
御由緒より
社伝に天平宝宇四庚(760年)の創建とあり、享保年間に出版された『江戸砂子』に「新田義貞朝臣、鎌倉の高時を追討のみぎり、弘法大師の筆の稲荷の像を襟掛にしたまひしを、瑠璃の宝塔にこめて当所におさめまつり給ふ。故に御玉ひめの稲荷と申のよし。」
神輿庫
摂社
口入稲荷神社
仕事を斡旋する意味の口入れ
かつて新吉原の高田屋という口入宿に稲荷社があった
江戸時代に店主が夢で玉姫稲荷神社に遷すようにお告げが
あり鎮座したとの事です
拝殿
手水舎
本殿
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