たまひめいなりじんじゃ
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楽しみ方玉姫稲荷神社のお参りの記録一覧

今日・明日、恒例のこんこん靴市もあり、参拝させていただきました。
驚いたのが八神殿が焼けて無残な姿になっていました。
何があったのでしょうかか?

台東区の辺りを回る循環バスを使い、こちらに来てみたのですが…あまり手入れされていなさそうです。
大きさや、建物の様子から察するに、以前は宮司さんがいてこの辺りの商店が、氏神さまとしてお祀りしていたのだと思います。
おそらく賑わう、活気に溢れた場所だったのでしょう。
しかし、月日が流れ町も人も変わり、商店街もほぼシャッターが閉まっていました。
今は神社やお寺を継ぐ方がいないところも多く、このような場所は増えていくのでしょうね…
宮司さんがいなくなっても、地元の方で綺麗にして盛り上げて行けると良いのでしょうが、お年寄りが多くなかなかそうも行かないというのが現実かもしれません。
本殿の前の日陰で、初老の男性が座って休憩していました。




東禅寺の次に近くの玉姫稲荷神社を参拝しました。 鳥居には、『靴まつり市』の幟が掛けてあり、また境内の駐車場は車が沢山停めてあって沢山の参拝者で賑わってそうな感じがしましたが参拝者は、私達だけでした。 たまたま駐車場に来たトラックの運転士さんに『この神社に宮司さんは居ますか』と尋ねて見たら『居ないと思うよ』との事でした。 また別の機会で来てみたいと思います。

玉姫稲荷神社の鳥居

狛犬と玉姫稲荷神社の拝殿

手水舎


拝殿

拝殿の扁額

玉姫稲荷神社の本殿

境内社(末社 八神殿)

境内社(口入稲荷神社)


25.03.31。先の松吟寺より徒歩5分。台東区清川2丁目の住宅街に鎮座。
御祭神 宇迦之御魂命
創建年 天平宝字4年(760年)
社格等 旧村社
【由緒】〜Wikipedia より引用〜
武蔵国豊島郡王子村(現•東京都北区)の王子稲荷神社とも関係があるという。また新田義貞が北条高時を追討すべく、鎌倉に追撃(鎌倉の戦い)する際に、当社で祈願したという故事もあり、かなり歴史ある神社である。
昭和20年(1945)の東京大空襲で全焼した。昭和28年(1953)に社殿が再建された。
境内に桜が見られ良い感じでした。残念ながら社務所等が工事中みたいで無人のようすでしたので御朱印拝受は叶わずでした。

社号標

鳥居

参道
4月と11月には境内で「こんこん靴市」が開催されるようです。

参道右手に神輿庫

社殿遠景

狛犬(阿形)

(吽形)

手水舎

水は出ていませんでした。

拝殿


本殿

桜

↓


玉姫稲荷神社は、760年(天平宝字4年)の創建と伝えられ(新編武蔵風土記稿を参照したが、文献により不詳とされているケースもあるため諸説)、新田義貞が鎌倉に進撃する際に戦勝祈願をしたという歴史を持つ、由緒ある神社です。武蔵国豊島郡王子村(現在の東京都北区)の王子稲荷神社との関係も指摘されています。
1945年の東京大空襲で全焼しましたが、その後再建され、現在も地域の信仰を集めています。
靴のめぐみ祭り市: 毎年4月と11月には、地場産業である製靴業者の協力のもと、「靴のめぐみ祭り市」が開催されます。靴の大安売り市や、古靴の供養などが行われ、地域の人々でにぎわいます。
口入稲荷神社: 境内には、かつて遊郭へ遊女を斡旋していた業者に祀られていた口入稲荷神社があります。
新編武蔵風土記稿: この古文書には、玉姫稲荷神社の由緒や、新田義貞との関わりなどが詳しく記されています。







天平宝字4年(760)、京都・伏見稲荷大社より御分霊を勧請し創建されたという。
正慶2年(1333)に新田義貞公が鎌倉の北条高時追討の折に当社で戦勝を祈願し、弘法大師直筆という稲荷大神の像を瑠璃の玉塔に奉納したことが「玉秘め」の社号の由来となったとされる。
江戸時代に発刊された地誌「江戸砂子増補」によれば、王子稲荷神社と神縁があるとも伝わる。
また「江戸名所花暦」「江戸名所図会」など、著名な地誌にも当社の記載がある。
明治44年(1911)に新吉原で発生した大火や大正12年(1923)の関東大震災、さらには昭和20年3月10日の空襲によって社殿はたびたび焼失しており、現社殿は昭和27年5月に再建された。
当社の氏子には地場産業である製靴業者も名を連ねており、毎年11月に「靴のめぐみ祭り市」と題して、靴の大安売り市が開かれている。





































台東区にある稲荷神社で、江戸時代には伏見稲荷大社から「稲荷勧請」の流行によって多くの稲荷神社が建てられた東京ですが、当社はその中でも天平年間に建てられたとされており、特に古いお稲荷さんと言えるのかもしれません。

《鳥居と社号碑》
当時は桜が綺麗に咲いてました。

《表参道》
周辺の会社の駐車場と化してます。

《神輿庫》
こちらの神幸祭はかなり盛大に元気よく行われます。参加したので間違いない。

《手水舎》
水は止められていました。

《拝殿》
👁チェックポイント‼️
稲荷神社でもかなりの歴史を数えている中で、鎌倉時代に新田義貞公によって北条高時公の戦勝祈願を行ったとされ、稲荷神社の中でも勝利の神様としての神徳を持つのはかなり珍しいです。

《扁額》
明治神宮5代目の鷹司信輔さんの浄書です。


《末社》
周辺に勧請されていた稲荷神社と思われる末社がいくつかあります。

《末社・八神神社》

《神紋》

西日暮里から一駅歩き、日暮里駅からバスであしたのジョーで知られる泪橋(思川に架かる橋だが、暗渠になっており橋とはいえず地名のみ)を通って公園に隣接した玉姫稲荷神社神社に到着。この辺りは台東区で、地図を見ると浅草が結構近かったりする。隣接する公園にはホームレスの小屋があったりするが付近にトイレもあり住むには環境が良いのかも。日本は大乗仏教が多いがまだ貧困に悩まされる人が多いのは何故だろうか?心境には大乗仏教に対応する思想もあると思うが、思うに現在の宗教はここのの内面を重視し、即物的な面は行政が担うのであろうか?何以下もやもやを抱えながらの参拝でした。肝心の神社は境内は駐車場になっており、開放的な雰囲気、鎮守の杜もない。稲荷神社としては華美なところはない。本日は御朱印対応は無く、どうやら毎日ではないらしい。
SNSでも情報はなく、御朱印を希望する方は事前に連絡を入れたほうは良いのかも。

鳥居

社号標

常夜灯

参道

灯籠



狛犬


天水舎


拝殿


扁額

本殿


境内社 八神殿(白山神社・八幡神社・八坂神社・春日神社・金毘羅神社・松尾神社・天祖神社・王子神社)


境内社鳥居

境内社 口入稲荷神社

天水舎


本日最後の参拝です。
この辺りはかなりリーズナブルな旅館が多いエリアなんですね。たくさんありました。
観光地って感じではなく、日雇い労働者さんのための旅館って感じでしょうか。
浅草も徒歩エリアです。

近づいたら逃げられました…

到着

社名標

この狛犬、なんかかっこいいと思いました。


拝殿

扁額


手水舎

口入稲荷神社。
何故か開いてませんでした。

拝殿横に社務所。
御朱印とかお守りとか、案内は何も書いて無かったんですが、思い切って社務所の引き戸を開けてみました。御朱印を受けたい旨を伝えると、快く応じて頂きました。ありがとうございました♪

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