曹洞宗
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楽しみ方吉祥寺のお参りの記録一覧

東京メトロ南北線 本駒込駅から徒歩7分くらいで到着します。
とても広い敷地で整然とされていました。
〈宗派〉曹洞宗
〈山号〉諏訪山
〈開山〉青巌周陽
〈ご本尊〉釈迦如来
〈創建〉長禄2年(西暦1458年 室町時代)
太田道灌により、江戸城内に創建され、後に江戸城内より水道橋本郷元町に移転された。
明暦の大火により、消失。現駒込に再建された。
その際、駒込にいた住民は、武蔵野原に移住させられ、吉祥寺村を開村した。(現吉祥寺)

吉祥寺 御朱印
書き置きでいただきました。

茗荷稲荷大権現 御朱印
書き置きでいただきました。

山門
立派です✨✨


八百屋お七と恋人吉三郎の比翼塚

茗荷稲荷大権現



吉祥寺大仏(釈迦如来坐像)
葉っぱで隠れてしまいました😅

六地蔵

鐘

経蔵(文京区指定有形文化財)


彫りも見事です✨✨


参道と本堂




縁結び吉祥観音


本駒込の駅から駒込富士神社⛩へ向かう途中で出会ったお寺。山門から覗くと凄い桜🌸の数々。誘われるように境内へ。
見事な桜に興奮(*゚∀゚*)しきり、なんて素敵な偶然✨️小雨が一時止んで思い切り堪能しました。

「せんだんりん」と読むそうです
タイミングが良かったみたいで書き入れていただけました














旃檀林とは駒沢大学の前身となった僧侶の為の学校の名称




東京都文京区本駒込にある諏訪山吉祥寺に参詣。以前は駿河台付近にあったが火事(明暦の大火)で現在の地に移転したとのこと。武蔵野市の吉祥寺は吉祥寺の門前に住んでいた人が火事のため移住した場所で吉祥寺の名を付けたそうだ。
山門の門額にある「旃檀林(せんだんりん)」は、駒澤大学の前身となった僧侶のための学校の名称で御朱印にも「旃檀林」の文字。御朱印は書置きでいただきました。

諏訪山吉祥寺〜山門 門額「旃檀林」の文字

諏訪山吉祥寺〜御朱印・旃檀林の文字

諏訪山吉祥寺〜本堂①

諏訪山吉祥寺〜本堂②「諏訪山」の山号額が見える

諏訪山吉祥寺〜ちょっと変わった狛犬?①

諏訪山吉祥寺〜ちょっと変わった狛犬?②

諏訪山吉祥寺〜センダンの木 実がなっている

諏訪山吉祥寺〜経蔵

諏訪山吉祥寺〜釈迦如来坐像(吉祥寺大仏)

諏訪山吉祥寺〜「八百屋お七&吉三郎」比翼塚

諏訪山吉祥寺〜境内社・茗荷稲荷神社

諏訪山吉祥寺〜鐘楼

本駒込にある名刹✨吉祥寺(きちじょうじ)さんにお参りしました😊
東京都文京区本駒込三丁目にある曹洞宗の寺院
山号は諏訪山
太田道灌が江戸城築城の際、井戸を掘ったところ、「吉祥増上」の刻印が出てきたため、現在の和田倉門のあたりに「吉祥庵」を建てたのが始まりといわれる。
徳川家康時代に水道橋際(現在の都立工芸高校一帯)へ移った。
明暦3年(1657)明暦の大火で焼失し現在地に移転。
関東における曹洞宗の宗門随一の「旃檀林(せんだんりん)」がおかれ多くの学僧が学んだ。
第二次大戦でそのほとんどが焼失し、現在は山門と経蔵だけが往時をしのばせる。
文京区の観光案内より

山門✨

参道✨


境内✨

鐘楼✨

六地蔵像✨


本堂✨


吉祥寺大仏✨


茗荷稲荷✨

コロナ禍で御朱印はやっていないとのこと☺️

武蔵野市の吉祥寺ではなく、本駒込の吉祥寺に参拝。本郷通りに面した山門は風格あるもの。境内には茗荷稲荷神社や八百屋お七吉三の比翼塚など見どころ沢山。コロナウイルス対策で御朱印中止の貼り紙があり、御朱印は断念。

本郷通りに面した山門


コロナウイルス感染拡大対策で御朱印中止の貼り紙、入室禁止の貼り紙もあり御朱印は断念

境内内にある茗荷稲荷神社〜痔に効果あるらしい

八百屋お七と吉三との比翼塚


東京メトロ南北線本駒込駅2番出口から徒歩で、、、5分位?
かなり広いお寺です。
吉祥寺は吉祥寺駅にはありません!
本駒込駅です。
移設したみたいですね。
社務所にはコロナで御朱印は中止と貼り紙がしてありましたが、書き置きで頂くことが出来ました。
各300円です。

本堂

山門

吉祥寺の石柱

看板

本堂向かって右の狛犬

本堂向かって左の狛犬

扁額

駐車場
広いです

社務所

御朱印は中止との貼り紙がありますが、
書き置きの御朱印を頂けました。

縁結吉祥観音

縁結吉祥観音由来

鐘楼

かもめの水平さん
歌碑

こいのぼり歌碑

経蔵 看板

経蔵

二宮尊徳 墓所

六地蔵

大仏

茗荷稲荷神社

茗荷大権現 扁額

茗荷稲荷神社由来
どうやら痔に良いらしい。

文京区本駒込にある曹洞宗の寺院。吉祥寺(きちじょうじ)は、山号は諏訪山。本尊は釈迦如来。1458年創建。太田道灌が開祖。群馬県の永源寺の末寺、神奈川県の最乗寺の孫末寺。
創建時、江戸城西の丸に建立されたが徳川家康関東入府で駿河台に移転、その後江戸時代の2度の大火で現在地に移転。
江戸時代には、境内に学寮「旃檀林(せんだんりん)」が作られ、幕府の学問所「昌平黌」と並び、漢学の一大研究地となった。寺堂は戦前まで七堂伽藍を誇っていたが東京大空襲に遭い、山門(1802年建造)と経蔵(1804年建造)以外すべて焼失。
江戸初期の人気小説、井原西鶴の『好色五人女』で「八百屋のお七」の話の舞台として登場する。
23区内でも屈指の広さの境内は、草木のきれいな時期だと散策に良いかも。墓地部分も多いが江戸時代の旗本などの墓で、後見人がいないものも多数とのこと。参拝時は週末の午後、参拝者はほとんどいなかった。

1802年建造の<山門>。写真は広角で撮ったので小さく見えるが、実際はどっしりと威風堂々とした山門。

扁額には、学寮「旃檀林(せんだんりん)」の文字。

山門をくぐったところ。都内屈指の長い参道。

参道左手にある<茗荷稲荷神社>。

参道左手にある<お七・吉三郎比翼塚>。吉祥寺を舞台とした「八百屋のお七」の悲恋の話の二人を供養する。
(ただし井原西鶴の小説『好色五人女』上の話で、実際の舞台は別の寺。)

参道左手にある<大仏様>。

境内を一望。御朱印は写真右手の寺務所でもらえるが、コロナ緊急事態宣言中につき、
檀家以外は寺務所入館禁止で、御朱印も領布していないとのこと。

本堂。

<諏訪山>の扁額。

1804年建造の<経蔵>。

鐘楼。

曹洞宗寺院。
太田道灌が江戸城築城の際、井戸を掘ったところ「吉祥増上」の刻印が出てきて今の和田倉門あたりに「吉祥庵」という庵を建てた事が最初でした。
その後、曹洞宗の僧侶の学校で「旃檀林」が今の駒澤大学という事だそうです。
境内は広く、七堂伽藍を要していましたが、戦災でほとんどが焼失し、山門と経堂が当時のものです。



山門です。


山門に掲げられている扁額。
「旃壇林(せんだんりん)」は僧侶の学校でした。


境内にある「茗荷稲荷」です。



鐘楼です。


長い参道を歩くと本堂です。
右手に寺務所があり、こちらで御朱印をいただく事ができます。




二宮尊徳のお墓だそうです。

経堂です。
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