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えのきだいろくてんじん

榎大六天神の御由緒・歴史
東京都 板橋本町駅

ご祭神淤母陀流神,阿夜可志古泥神
ご由緒

江戸時代、当地に旗本・近藤登之助の抱屋敷があった。
屋敷の垣根際に榎と槻の古木があり、そのうちの榎がいつの頃からか縁切榎と呼ばれた。
榎は当社の御神木で、現社地の斜め向かい側(本町32)が旧鎮座地であったことから、近藤家屋敷の邸内社として祀られていた可能性が高い。
男女の悪縁を切りたい時や断酒を願う際、榎から削ぎとった樹皮を煎じて対象の人物に飲ませると成就するとされ、信仰を集めた。
榎の下を嫁入り婿入りの行列が通ると不縁になると信じられており、徳川家に降嫁した五十宮や楽宮の行列はここを避けて通った。
和宮下向の際には榎を菰で包み、その下を通って板橋本陣に入ったという伝承があるが、不浄なものを覆うことを命じた触書の内容が伝わったものと考えられ、橋宿中宿の名主・飯田侃家の古文書によれば実際は下を通っておらず、先例にならい榎を避けた迂回路が作られていた。
初代の榎は1884(明治17)年の板橋宿大火で焼失し、その後二代目が植えられた。
1972(昭和47)年、周辺の再開発に伴って旧社地から現在地に遷座することとなり、二代目の榎が伐採された。
現在地に新たに植えられたのが現在の縁切榎(三代目)である。
近年は悪縁切りだけでなく、良縁祈願や病との縁切りの御利益も期待されるようになり、全国各地からの参拝者が後を絶たない。
現在は奉賛会が護持し、双葉町の氷川神社が祭祀を執り行っている。

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