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いけぶくろひかわじんじゃ

池袋氷川神社の御由緒・歴史
東京都 下板橋駅

ご祭神《合》高皇産霊神,天照大御神,保食神,木花咲耶姫命,《主》建速須佐之男命
ご由緒

建速須佐之男命を主神としておまつりし、古い時代から今日にいたるまで、池袋村の鎮守、氏神さまとしてこの土地に住む代々の人々の守り神として崇敬されてきました。
埼玉県大宮市鎮座の氷川神社(武蔵国一之宮、平安時代の延喜式神名帳所載の官幣大社)から分かれた神社とも言われています。
池袋の名は、今から四百三十年前の室町時代永禄二年(西暦1559年)の「小田原衆所領役帳」に「武州豊島郡池袋村」として書かれ当内の長崎・菅面(巣鴨)・駒込・雑司谷・高田とともに当時すでに村が形成されていたことが記録されています。
天保元年(1830)の「新編武蔵風土記稿」の池袋村の条に「氷川社 村ノ鎮守」の記述があります。
昭和の大戦に際して、東京大空襲の災禍にあいましたが、氏子中の一致協力により戦後の混乱下にもかかわらず御復興を成し遂げました。
現在の御社殿は、昭和四十年の御造営氏子総奉賛事業として竣功した戦後二度目の建築です。
当神社の境内から、およそ三千五百年前の縄文時代後期に使用されたと推定される土器片が発掘採集されています。また明治時代に境内から谷瑞川にいたる付近一帯から発見された貝塚は「池袋村貝塚」として知られ、曲玉、菅玉、土偶なども出土しています。この土地で生活した古代人の様子がうかがえますが、これは豊島区歴史年表の最初の項目を記すものです。(境内石碑より)

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