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くがやまいなりじんじゃ

久我山稲荷神社の御由緒・歴史
東京都 久我山駅

ご祭神受持命
ご由緒

久我山稲荷神社は、『新編武蔵風土記稿』の多摩郡久ヶ山村の条に稲荷社として掲載され、「除地、二段五畝十五歩、堂屋舗にあり、小社にて上屋九尺に二間、拝殿二間に三間、南向、前に鳥居を立つ、石階鳥居の外に三級内に二十数級あり、村内の鎮守、例祭十一月にて日定らず、光明寺の持」と記されています。創建の由来については詳かではありませんが、古来からの久我山村の鎮守で、祭神は保食命です。
 明治四十年(1907)四月に字北原にあった天祖神社(祭神大日孁貴神)が合祀され、昭和十六年(1941)二月に村社となりました。境内末社には八雲神社・天満天神社があります。
 例祭日は十月一日ですが、本社では、七月二十四日に夏祭りが行われ、「湯の花神楽」が奉納されます。湯の花神楽は、大釜に熱湯を沸かし、小笹を浸して打ち振りながら行われます。杉並区内では極めて珍しい行事で、その昔、この地に疫病が流行した際、村人が神楽を奉納し、祈願したところ、疫病がやんだという故事によるものです。
 境内には明治三十二年(1899)に氏子が奉納した金玉均(朝鮮の李王朝末の政治亡命家)の手跡を刻んだ「人心同」の碑があります。金玉均は、久我山に生まれて幼くして小笠原にわたり、砂糖王と呼ばれた飯田作右衛門から、「遠く離れている父に朝夕仕えることもできず、心で思うばかりである。せめて父の住むところに自分の不孝をわびる石碑を建ててくれ」と頼まれ、その心根に強く打たれてこの筆跡を残しました。
 なお、境内には元禄十六年(1703)造立の庚申塔があります。かつて村人がこの庚申様に砧の槌を納めて養蚕の無事を祈願したと言い伝えられています。
 また、昭和五十七年(1982)に新築された「額堂付神楽殿」には多数の絵馬が保存されています。

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