しんがんじ
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森巌寺ではいただけません
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森巌寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年03月09日(火)
参拝:2021年2月吉日
森巖寺は、「りんがんじ」と読むのではなく「しんがんじ」と読みます。
1608年(慶長13年)に、結城秀康の位牌所として建立されました。
秀康は家康の次男ですが、豊臣秀吉との和解のために豊臣家へと養子に出されます。
その後豊臣秀頼が生まれたことにより、豊臣家から北関東の名家結城家に再度養子に出されます。
関ケ原の合戦時には、関東に残り上杉景勝と対峙し上杉氏の南進を阻止しました。
その武功により越前藩主となり、結城姓から松平姓へ戻すことが許されました。
改名した秀康は、越前松平家宗家初代となります。
慶長12年(1607年)には病状が悪化し死期を悟った秀康は、一乗院住職万世和尚に自分の死後に江戸の地に一寺を建立を託し、そこに自らの位牌所の建立を命じました。
その位牌所が、この森巖寺です。
万世和尚の高弟清譽存廓上人が、慶長13年(1608年)に当地で開山しました。
こちらのお寺の正式名称は、八幡山浄光院森巖寺と言います。
こちらの森巖寺は、浄土宗のお寺さんですので本尊は阿弥陀如来になります。
境内には、不動・閻魔堂に閻魔様と不動明王、弁天堂には弁才天が祀られています。
こちらのお寺の特筆すべきが、淡島堂です。
初代住職清譽存廓上人は紀州の出身で、持病の腰痛に悩まされていました。ある夜、故郷の淡島様が夢枕に立ち、灸治の零示を受けました。
早速、自分の足へ施灸すると、永年の腰痛が嘘のように全快したそうです。そのため、紀州加太の本社に願い出て境内に淡島様を勧請しました。
淡島様は女性にとってはとてもありがたい神様で、婦人病治癒を始めとして安産・子授け、裁縫の上達、人形供養などに霊験のある神様です。
1608年(慶長13年)に、結城秀康の位牌所として建立されました。
秀康は家康の次男ですが、豊臣秀吉との和解のために豊臣家へと養子に出されます。
その後豊臣秀頼が生まれたことにより、豊臣家から北関東の名家結城家に再度養子に出されます。
関ケ原の合戦時には、関東に残り上杉景勝と対峙し上杉氏の南進を阻止しました。
その武功により越前藩主となり、結城姓から松平姓へ戻すことが許されました。
改名した秀康は、越前松平家宗家初代となります。
慶長12年(1607年)には病状が悪化し死期を悟った秀康は、一乗院住職万世和尚に自分の死後に江戸の地に一寺を建立を託し、そこに自らの位牌所の建立を命じました。
その位牌所が、この森巖寺です。
万世和尚の高弟清譽存廓上人が、慶長13年(1608年)に当地で開山しました。
こちらのお寺の正式名称は、八幡山浄光院森巖寺と言います。
こちらの森巖寺は、浄土宗のお寺さんですので本尊は阿弥陀如来になります。
境内には、不動・閻魔堂に閻魔様と不動明王、弁天堂には弁才天が祀られています。
こちらのお寺の特筆すべきが、淡島堂です。
初代住職清譽存廓上人は紀州の出身で、持病の腰痛に悩まされていました。ある夜、故郷の淡島様が夢枕に立ち、灸治の零示を受けました。
早速、自分の足へ施灸すると、永年の腰痛が嘘のように全快したそうです。そのため、紀州加太の本社に願い出て境内に淡島様を勧請しました。
淡島様は女性にとってはとてもありがたい神様で、婦人病治癒を始めとして安産・子授け、裁縫の上達、人形供養などに霊験のある神様です。
すてき
みんなのコメント(2件)
Kazu..
のぶさま、
こんばんは。
そういう歴史をもつお寺さんだったのですね。
数年前に行った時は、何も知らず、もちろんホトカミさんも知らず、針供養をやってるらしいというだけで伺い、ちょうど京都からいらしていたというお坊さんに御朱印を書いて頂きました。御朱印の意味や読み方なども教えて頂いたのにもう忘れてしまい…。反省😥
今はのぶさんたちの投稿を見て、ほんの少し勉強⁉︎してから伺うようになりました。
今度また改めてこちらのお寺にお詣りに行きたいと思っています。
2021年09月25日(土)
kazuさん、こんばんは😊
自分も皆さんの投稿読んでなるべく予習してからお参りするようにしています。事前に知識入れておくと、より参拝が楽しく感じます😆
2021年09月26日(日)
投稿者のプロフィール
のぶさん1576投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。